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足利尊氏は、後醍醐の籠る比叡山を包囲したものの、西坂本方面の剣俊に苦戦する。そこへ駆けつけた紀伊の熊野八荘司の大兵は、鎖帷子で指先まで固めた重装にも関わらず、山道を軽々進んで山育ちを自慢したが、宮方の本間重氏、相馬四郎左衛門の弓勢に瞬殺された(『太平記』巻17尊氏山門攻めの事)。
【本間孫四郎遠矢事】
元弘三年、宮方の本間重氏は、湊川に迫る足利の大船団に向け、魚を捕らえて飛ぶ鶚を射抜いて船の中へ落した。足利尊氏は使者を立て射手の名を問うと、本間は矢に名前を書き入れ、尊氏がいると思しき六町先の船へ射送り、兵の鎧の草摺に突き立てた(太平記巻16)。