//=time() ?>
鳥居強右衛門は、武田軍が包囲する長篠城から、信長・家康の救援を得るため使者となる。信長の快諾を取り付けるも、帰路武田軍に捕まってしまう。救援はないと言えば許すと誘われたが断固拒否して使命を果たし、武田軍は彼を磔にした。忠勇に感動した落合左平次は、その様を軍旗にしたという。
【近江のお金】湖畔で暴れ馬が走り回る所に行きあった海津の遊女お金は、やすやすとその馬を取り押さえてしまう。引き綱を踏みつけた足駄は、足首まで砂に埋まるほどで、後世の長唄の「晒女」のモデルとなる力自慢の女性であった。一度に五本の弓の弦を張ることもできたという(古今著聞集)。
徳川家康は、誕生日が年またぎでややこしいけど、癸卯の1543年生まれとして今年で480歳、自分の計算が正しければ40回目の年男なのね。そして今年の干支も癸卯。