//=time() ?>
投石は現地調達でなく基本的に製造加工された専用のものを使用し補給されたことから部隊ごとに補給種類が偏ると考え、発掘段階で全ての石の場所を記録し分類した所、水辺と内陸側で明確に違ったことが判明して提唱されました。
タキトゥスの該当箇所はここで英語版読めます。
https://t.co/5R85VxAy6N
連合を結成したローマ教皇レオ9世は教会改革を進めるなど精力的な人物でしたがBattle of Civitateの結果捕虜となってしまい翌年に死去
戦と関係ないですがレオ教皇には凄い躍動感あふれる悪魔祓いの絵が残ってます。Weißenauer Passionaleは中世の魔物の絵が多数描かれた史料ですので興味ある方はぜひ
2017年タブカの戦い
ユーフラテス川とラッカ北域で防戦するISへ大攻勢をしかけるSDFだったが上流のダムがあるタブカが問題だった。強力な陣地に加え、ダム崩壊を考慮し砲撃・空爆を控える必要があった
そこで米軍とSDFの精鋭が敵後方にヘリボーンと水上上陸を行い急襲・挟撃奪取する作戦を立案する
英軍は敵拠点手前で上陸後に左翼・中央・右翼(主攻)に分離
左翼と中央がまず攻撃をしかけ敵を誘い込み、その間に主力右翼が敵翼を回り込んで一挙に側背を叩いたことで包囲攻撃が発生した。
練度の差も見せつけられた大敗でしたがワシントンはこの後の撤退戦を成功させ決定打を回避しました。
@hyuga55032216 クリミア戦争1854年Battle of Balaclavaでの凄惨な騎兵突撃の部隊ではないようです。インドで編成されて成長した部隊で英王国軍に移管したのは1862年ですのでクリミアには参加していないかと思います。
WW2英国戦車部隊の17th/21st Lancers『The Death or Glory Boys』とも違う部隊です。一応
北アフリカ騎馬鉄砲隊の馬上射撃は1535年の絵が現存します。
ファンタジアについて18世紀には欧州で知名度を持ち19世紀にドラクロワ含め多数の絵画が残されました。
ただ馬上射撃する騎馬鉄砲隊が戦争でどの程度一般的な兵科だったのかはよく分かりません。北アフリカ・イベリアの専門本にないかな…
最初の接触であるロシア軍左翼シェヴァルジノの戦況図
警戒のため小川に沿って散開していた各部隊が敵発見すると少し下がった位置にある陣地に集結し戦列を形成。後列の騎兵と巧く連携を取ってしのいでから退きました。
この製図担当者はどう集合したかまで含めた緻密な描き方されていますね
@it_yabghu バーブルの将Ustad Ali-Quliが集めた火器はこんな感じでしょうか
zarb-zan=軽カノン砲
qazan=kazan=重砲
kazan-i-bozorg=臼砲
firingi=小口径旋回砲?=Jazail(イランでは駱駝砲ザンブーラキ)
Cailletoque=長身マッチロック
画はバーブルのKhanwaでの野戦砲とアクバルのChittorgarh包囲戦の旋回砲
資料紹介 1830年頃のロシア帝国の要塞カラー図60枚
近代稜堡城郭が周辺の地形と合わせて見やすく描かれています
https://t.co/6RAtLtrdaT
上記でダウンロードできますがDjVu形式なんでPDFご参照下さい。キエフについて詳しい方の意見を聞きたいです
https://t.co/9vl5hAH3d2
https://t.co/jffxPdAg43