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戦況図中心に戦史情報収集をしてます。 小考及び資料紹介はサイトに。拙いですが翻訳も稀にしていこうと思います。
warhistory-quest.blog.jp

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鞍に翼がついているタイプですね。
Ospreyの "Polish Armies 1569-1696" vol.2に紹介があります。p.39にイタリアのAldobrandiniが書いたタタールの翼騎兵の記録などが書かれています。

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ここで敵左翼の造反ムスリム部隊へ、ホラズム軍が見事な動きで攻撃を一挙に集中した。造反ムスリムたちは頑強に抵抗したが耐えきれなかった。
騎士たちの逆襲正面攻撃をアイユーブ軍は耐え,引き付けている間に、ホラズム軍が回り込み包囲へと移る。騎士たちの大半が戦死し十字軍は致命的な崩壊となった

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1244年ラ・フォルビーの戦い
十字軍国家にとって決定的敗北となった野戦。

アイユーブ朝に対し造反したムスリムたちと十字軍は連合を結成、決戦を挑んだ。アイユーブ朝はモンゴルに滅ぼされたホラズム残党を組み込み凡そ同数を揃えた。
両軍は共に同族集団ごとに集まり左翼、中央、右翼と並べた。

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2024-12-26

左:Plerschの描いたホトキェヴィチ
右:Kaplińskiの描いたホトキェヴィチ

…顔はほぼ同じなのに怖さが違いすぎる。
ホトキェヴィチは17世紀前半のポーランドの軍司令官。卓越した指揮でスウェーデンやロシア、オスマン朝と戦った将軍です。戦場ではたぶん右の顔。

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実際のウラヌス作戦と鉄環作戦の推移。
こう見るとわりと違う気がします。進展中に指揮官は状況見て変化させる役割がありますが、このような上手くいった作戦でも計画通りにはいかないものですね。

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本作戦はエンヴェルの失敗として有名ですが、実情はもう少し複雑で議論があるようです。
山岳越えでの包囲が非現実的で自壊しましたが、エンヴェルの初期計画はここまで分散し深くまで裏を取りに行くのでは無く、側面攻撃に戦力を集中する「浅い縦深」の片翼包囲でした。
(左図:計画、 右:実際)

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1945年ナチス・ドイツの終焉
(ソ連軍事百科事典より)

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かなり驚いた。ニコライ1世の命で1841年から発行された『ロシア軍の服装及び武器史:最高司令部編纂』(862~1835年)の絵を表題付きで見やすくしてくれているサイトがありました。
多くのロシア戦史絵図が基にしている帝国公式資料です。特に1700~1835年は非常に細かいです
https://t.co/DAgGAgrVTG

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825年の絵で追うフランク兵と下がりながら騎射するマジャールが描かれているのですが、
このマジャール騎兵は腰をひねって後ろを向くパルティアショットではなく、完全に後ろ向きに乗った状態で馬を進ませながら弓を撃っています。
乗馬技術に詳しい人にこれがどれくらい有効なのかご意見伺いたいです

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