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星野文昭は2011年3・11福島原発事故以降、
フクシマに思いをはせる絵を多く描いた
一つは、チェルノブイリ原発事故の放射能
被害に苦しむ子どもたちと重ね合わせて
もう一つは、放射能被害で損なわれた福島
の風景
前者の4つの連作
①暁子、チェルノブイリを生きる子を
抱きしめて(2013年)
「辺野古の浜、沖縄の姉妹(2016年)」
画/星野文昭
暁子さんの詩
「命どう宝
命どう宝
命こそ宝ぞ
おばあが 教えてくれた はちまきをして
辺野古の 浜に立つ
今日も 座りこむ ゲート前
機動隊に 排除される おばあたち
今日も 排除されて
明日 また座り込む
(続)
沖縄闘争のえん罪で監獄44年
星野文昭は監獄から沖縄の絵を描く
「沖縄、地熱熱く(2015年)」
暁子さんの詩
「エイサー
太鼓を たたいて
エイサーが 始まると
自然に 身体は 動き出す
踊り始めた 人々の
あいの手
なつかしい
ともに 生きる思い
心に刻んで 生命の リズムを
呼び起こす」
無実のえん罪囚が監獄で描き続けた。
幽閉44年、2019年5月、無念の獄死
星野文昭絵画展
●2020年10月2日㈮〜4日㈰
●クリエート浜松 ふれあい広場
●入場無料
★獄中結婚された妻の暁子さんの講演会を
会場内で開催
10月4日、午後2時
暁子、チェルノブイリを生きる子を抱きしめて
(2013年)
星野文昭さんは無実です!
死亡した警察官を殴打していないし、「火炎
ビンを投げろ」と指示もしていません。
物証は何もなく、証拠はデモに参加した6人
の供述調書だけ。そのうち5人は公判で
「星野さんがやったのを見ていない」と真実
を証言。残りの一人は証言拒否。
続
事件は1971年11月14日、米軍基地を再編強化する沖縄返還協定の批准に反対する東京・渋谷のデモで、警察官が一人死亡。
星野さんに「殺人罪」がでっちあげられ、無期懲役にされました。
今も続く沖縄の米軍基地問題
星野さんは監獄から沖縄に思いを馳せ続け、多くの沖縄の絵を描いています