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301重戦車大隊のレオーン“メテュソス”はアナトリア、レバント随一の“装甲騎兵”の異名を取ったが足回りに問題を抱えた戦車を過信せず、常に綿密な地形調査を行い、随伴歩兵や僚車と連携した。第2中隊第3小隊は撤退戦の1週間で2輌を喪失したが63輌を撃破し、ネクタル号は砲身に16本の武勲を加えた。完成
#欲望はぜんぶ口に出したほうが仕事につながる
戦列歩兵の漫画かイラスト描けるお仕事というピンポイントすぎる欲望を持ってます!
やっと戦列歩兵時代を量産できる環境整ったんですよ…
週一ペース絵、今回は…
『歩兵支援戦闘メカ娘』です。
やっぱり陸戦型はゴリゴリ描けて楽しいですねぇ。その分作画コストが跳ね上がるのが難点。
来週に“いろいろ”を投稿できたら良いな、と思ってます。お楽しみに!
ポーランドのOrlikから1/25スケールの「T-50軽戦車」のペーパークラフトが発売。
超少数しか生産されなかった歩兵支援戦車で足回りの特徴から【マールィ・クリム】=ミニKVと呼ばれた。
一部がフィンランド戦線に投入され例のごとく鹵獲されて今でもフィンランドの博物館に飾られて居たりする。
#AIイケメン部
『あの時、殺しておけばよかったのだ』
旧軍関係者は口を揃えてこういう
北方軍集団 第7軍 第4師団
第8混成歩兵大隊 大隊長【検閲】
後の『少佐』である・・・
#天空艦隊の黄昏 世界(現代ではない方)の歩兵装備アイデア出し
浮遊大陸への強襲上陸は海兵隊ならぬ空兵隊が飛行船で行う。しかし飛行船の積載量は限られているため、歩兵の装備は徹底的に軽量化が求められた設定。
大陸間の移動を考慮せず、重戦車とか使うガチガチの陸軍国家には基本的に敵わない。
シャテル=ギヨン領主ルイ・ド・シャロン
1476年のグランソンの戦いでブルゴーニュ軍第1陣の騎兵隊指揮官を務める
ルイは騎兵突撃の先頭に立ってスイス軍の歩兵方陣に肉薄して斬り進み、敵の旗手を斬り伏せてシュヴィーツの部隊旗を奪いかけるが多勢に無勢、奮戦空しく28歳の若さで戦死した
カタフラクトⅡ号戦車は複雑な設計の為に高価かつ生産性や整備性も悪く、帝国のリソースを圧迫しており、後世の歴史家や技師はⅠ号戦車を増産していれば戦争は5年早く終わったと評価している一方で歩兵や戦車乗りは勝利の女神だったと崇めており、現代の掲示板でも大荒れのテーマという設定で(超早口)
もう1つは、砲兵隊の運用方法である
シャルルはノイス近郊における帝国軍との野戦(1475)において、本軍とは別個の機動部隊として砲兵隊を用いている
一方、マクシミリアンは中央の歩兵隊に組み込んで配置している
これは恐らく、中央に砲列を敷いたフランス軍への迎撃のためだろう→
パイク持って突っ付き合う戦術ってスイス傭兵~イタリア戦争の頃に現れたイメージあるけど実際はいつ頃生まれた戦術なんだろう
basinius parmensis(15c半ば)の戦闘描写を見る限り、この頃のイタリアは長柄と盾持った歩兵同士が突っ付き合ってその周囲に投射兵が散開し、支援するという戦術だったのかな
二・二六事件の日なので過去絵で
傍受された通話音声~帝國陸軍歩兵第三連隊上村盛満軍曹と高橋丑太郎中尉
上村氏はこの時叛乱軍の拠点の一つが置かれた赤坂の料亭・幸楽にあって同じ三連隊の上官高橋丑太郎中尉から電話を通しての投降勧告を受けた
#晴天アポカリプス
#nijijourney
軍用人型歩行兵器,通称シンカライ(Sync Ally)
戦場では歩兵との高度な連携力を発揮し,重火器の概念を大きく変革させた.
各国は競うようにシンカライの開発配備を進め,終末前夜の世界に落ちる影の一つとなっていた.