アンデラ183話が載ったジャンプ(2023年50号)の逃げ若で奇跡が起きてたため
「まぁ……面白いからオッケーだよ!!」の空気が強かったです

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先週号の逃げ若はむねよししんのー様がゑっ…だなというらくがき。しんのー様が尊い…そしてエロい(不敬)
こじくんとお跡目の触れ合いも良かった。若の最後の乾坤一擲の大勝負も迫力あってよかったな。

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貞宗は大徳王寺城の戦い後も高師冬の要請を受けて北畠親房が籠る大宝城攻略に参戦したり精力的に活躍
1345年には嫡子の政長に守護職や所領を譲りながらも政務に携わる半引退生活に
足利家の内乱である観応の擾乱が巻き起こるより前の1347年5月26日に京都で死去。享年56歳

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「守矢文書」は諏訪大社の筆頭神官を務めた守矢貞実が大徳王寺城の戦いの数十年後に記したもの
つまり伝聞による記載であり、他の史料にこの戦の記録がないため非実在合戦だと言われてしまう
ただこの時代の史料が少ないのは常だし、火がないところに煙は立たぬじゃないかな

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1340年の「大徳王寺城の戦い」は、宗良親王を立てて籠城した時行・諏訪連合軍との腐れ縁の総決算たる戦い
小競り合いでは数十回もの敗北をしつつ、4カ月粘ったことで落城させて勝利したという
ただこの合戦「守矢文書」にしか記述がなく実際にあったか疑問視されてもいます

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そもそも優秀でなければ反乱多発地帯の信濃を治めることは不可能なワケで……
「時行と顕家以外に敗北なし」の敗北の内訳は「中先代の乱」と「青野原の戦い」のことでしょう
奇しくもどちらも時行が絡んでいます(青野原では実際には時行ではなく伊達ら奥州勢に敗北している)

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そんな状況で一貫して足利尊氏に従い信濃守護となった貞宗は紛れもなく一族中興の祖だったわけです
小笠原流礼法創始者としての功績は先の名鑑で書いたように、子孫が箔付けの為に盛っている部分がありますが盛るに足る偉大な祖という証左です
https://t.co/UxxVObuuNT

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その後、信濃小笠原家惣領の座は庶流の伴野氏に移りますが、伴野氏も霜月騒動に巻き込まれて没落
解説上手でも触れられていますが、以前まで貞宗は信濃国松尾と考えられていたものの、霜月騒動で信濃領を大幅に没収されているので信濃に地盤はなかったと見るべきです

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「源貞宗」とありますが、これは小笠原家が清和源氏の出身である為の氏読み
清和源氏の一派甲斐武田氏の分流であり、甲斐国巨摩郡小笠原に所領を持っていたことからこの苗字に
その後、信濃に土着した一族が貞宗の先祖ですが、2代目が比企能員の変に連座していきなり失脚

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逃げ若武将名鑑【従五位下 治部大輔 信濃守護 小笠原源貞宗】
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将
信濃守護を務めて戦国時代にまで続く小笠原家の礎を築き上げた
小笠原総領家では小笠原流礼法中興の祖として称えており、現在も歴史にその名を遺す

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【Tips】鳥の音も/なへて聞えぬ/山にしも/なれはなきける/時鳥かな
撰者宗良親王の准勅撰和歌集『親葉和歌集』撰入の一首
作中では宗良親王が詠っているが、実際は住吉大社の歌合で詠まれたよみ人知らずのもの
約1420首の中から時行に合う和歌を見つける松井先生のワザマエよ

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1月13日に催されますサンライズクリエイション2025諏訪の冬内の逃げ若オンリー「逃若党 年始の宴」に参加しますー!

諏訪なので聖地開催!!

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まんが部門/逃げ若ハロウィンまとめ 

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今年一番描いたのは逃げ若の邦時時行兄弟

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【C105お品書き】初日は原神、2日目は逃げ若になります。本はいずれも委託申請はしていないので会場頒布のみです。本のサンプルは後程pixivの方にアップします。スケブは本人居るので描けると思いますが、各当日扱ってるキャラのみとさせて頂きます。大手の後にでもどうぞ宜しくお願いします〜

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逃げ若工藤氏の遺伝的特徴「長いモミアゲ」なんだろうか?しかし、弧次郎の工藤二郎としての死亡フラグが立ちまくっちゃったな……

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翌年に反乱を起こした「高景」なる人物もいるが、これは安達高景と言われる(ただし『太平記』では安達は幕府滅亡時に東勝寺で自害している)
正直全体的にぼんやりした印象の人物だが、その後も歴史に名を残す「工藤」は現れる
北条時行と共に刑死した忠臣「工藤二郎」である

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千早城の戦いは途中足利高氏の謀反で楠木正成の粘り勝ち
最期は不明瞭。六条河原で斬首された者の中に「公藤次郎右衛門尉・五十二歳」なる者がいるが、これは年代不明の記録で年齢も合わない
足利に投降して生存したとも言われるが投降者も多くは斬首されてるのでどうだろうか

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「左」は的始めで一番射手を務める弓の名手で若手ホープとして書かれる
「右」は千早城の戦いの戦勝祈願の連歌会で「さきかけてかつ色みせよ山桜」の発句から「嵐や花のかたきなるらん」と返すも「花である我々が嵐に吹き飛ばされてない?」と場の空気を微妙にした逸話が残る

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高景もどの工藤氏の出身なのかがイマイチ判別がつかず以前は長野工藤氏、現在は奥州工藤氏が有力とみられます
加えて先述の「左」と「右」の表記揺れ問題もあり、複雑になっている
逃げ若においては「右衛門」の方は息子という形にして後年ごっちゃにされた見解としてる模様
 

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