まず工藤一族自体の派生が異常に多く、駿河・伊豆・甲斐から始まり、そこから全国各地に分派して土着
苗字自体も土地に合わせて変質して「二階堂」や「鮫島」など原型がなくとも工藤一族ということがある
逃げ若で登場した「南条」も伊豆南条氏という工藤氏の支族とみられる

11 25

逃げ若武将名鑑【工藤高景】
御内人。『御的日記』に記録が残る「工藤次郎左衛門高景」のことかと思われる
異様に表記揺れする存在であり、『太平記』で千早城攻めに参加した将に「工藤二郎“右”衛門尉高景」の名があるが、これも左と右を盛大に間違えたものとみられる

31 76

今週号の逃げ若らくがき
にったどのの3男くん登場したねー!にった一族トレードマーク?ではなく、≠なのはどんな性格してるのかな?これからの登場楽しみ。若とのざ殿は平和な時代なら気のいいおっさんと悪がきみたいだったのかな…おにごっことても楽しそうだった。さて、和はどんな逃げを見せるのか

2 14

『太平記』では慎重派として描かれており、尊氏討伐に出兵を促されても「アイツも悪いヤツじゃないんだよ……父上弔ってくれたし……」と渋っている。それが「?」ではなく「≠」な由来かもしれない
とは言えアンチ足利として戦い続けるが最期がいまいち不明瞭だったりする

12 42

逃げ若武将名鑑【新田義宗】
新田義貞の三男だが、この漫画だと何故か義興が三男になっている
兄達を差し置いて昇殿していることから嫡子で新田の正統後継者と思われる
1340年には信濃国境付近に進出しており、翌年5月に小笠原貞宗と上杉憲顕に拠点を壊滅させられている
 

35 135

逃げ若本誌の叫びらくがき。
初っ端からの信濃NTR展開がすごかった…間男村上👃しゃけ、お前…
よりちゅぐ、成長したねぇ。駆けつけてくれて若も嬉しそう♡からのよりとー殿(笑)から撤退展開繋げるの上手いなぁ。そして、最後はわかのざ!?のざ殿元気出して…どんな会話をするのか次回も楽しみだ!

4 26

メロンブックスで逃げ若新刊の予約を行ってみました。
よろしくお願いいたします。
日本の本みたいな装丁にしてみたかったのでこんななりました

https://t.co/xoZn537veX

1 2

逃げ若のスタンプラリーしてきた!!
鎌倉有識者についてきてもらいスポット全部まわれました、ありがとうございます……
すごく美味しかった鎌倉ハムサンド🕊️

0 6

頼継は特にこの立直を繰り返していたらしく、弟に大祝を譲った後にまた「大祝頼“嗣”」の名が表れたりする
彼の名前がコロコロ変わるのもこの立直乱用が関わっていると見て間違いない
言葉巧みに揚げ足を取りルールをハックする逃げ若における頼継の強かさはこれに由来するか
 

16 67

しかしその頼継も度々諏訪大社を抜けて戦を行いながら大祝に就き続けている
そのからくりは戦に参加する時のみ大祝を降り、戦が終わり帰還すれば再任するというもの。この裏技を「立直」と呼ぶ
穢れは「三十七勤行」と「十三所参詣」と呼ばれる神事・儀式を行い浄化
 

16 52

【Tips】職位と立直
諏訪大社のトップであり諏訪大明神の依り代でもある「大祝」の地位
神が諏訪の地を離れることは不吉を招き、また神職が殺生を行うことは「穢れ」という最大の禁忌
その為、中先代の乱に参戦する父時継から頼継は神を継ぐ。これを「職位」と呼ぶ
 

40 191

なんかこう見せ場という見せ場が紛い物・創作とケチを付けられているんですよね……
大祝の座も何回も引退したり戻ったりしてるし
表記揺れも激しく「頼嗣」表記はともかく「諏訪直頼」という人物と同一人物とも言われていたりで、解釈次第で話がどうとでも広がる人物です
 

23 159

史実における頼継のその後は1340年大徳王寺城の戦い
諏訪から出るにあたって大祝の座を退き「父祖の忠節忘れ難く」北条時行と共に挙兵し貞宗を相手に籠城戦を展開
この戦に敗北した後は諏訪に戻りますが、そもそもこの戦自体史料に乏しく実際にあったか疑問視する声もある
 

19 132

この話は『諏訪大明神絵詞』のもので、頼継が神意によって守護られたとか、足利との仲は良好とかの記述も合わせて後年に継ぎ足された創作っぽい
『絵詞』の作者の諏訪(小坂)円忠は足利方の諏訪氏で、諏訪信仰の普及と足利との結びつきをアピールするため捏造した気配がある
 

18 130

しかし敵対していた筈の小笠原貞宗によって藤沢政頼は追い出され、頼継が大祝を継ぐことに
このことを考えると、貞宗が頼継に恩を売って北朝に引き込もうとしたような雰囲気がありますが、その後の頼継は南朝派であり小笠原家とも敵対を続けている
どうにも辻褄が合いません
 

17 139