しかし、記録に残っている戦功自体は紛れもない事実であり、父同様に結果を出した上で個人として神格化されたのは間違いないだろう
ただ、1341年の出兵まで領国河内で内政に勤しみ、その後の戦も河内周辺に限られるなど、全日本人から信奉された割に活躍規模は実はローカル

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捕虜救出の逸話も父の正成や弟の正儀にも似たようなものがあり、小楠公伝説は後世に創り上げられたものも多いのが実情
実は年齢もあやふやで、桜井の別れで少年として出した『太平記』が、別の記述では年齢の矛盾を起こす猿展開をしていたりする。『太平記』はルール無用だろ
 

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戦の中で川で溺れる敵将すら助けたという逸話は日本赤十字社の広報にも使われるなど、強さと優しさを兼ね備えた名将と謳われる反面、逆に戦以外での活躍や逸話というものが全くない
これは正成と違って京都に登らず、公家の記録に残らなかったからとされる
 

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英雄の血を引いた英雄であり、活動期間僅か7年の間に劇的な勝利を重ね、その強さは「不可思議」の域にあるとまで讃えられた
劇中では師直が中傷しているが、正行担当の細川顕氏や山名時氏は足利屈指の武闘派で、それに20歳そこそこで連戦連勝する正行は化物と言うほかない

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逃げ若武将名鑑【楠木正行】
軍神楠木正成の息子にして南北朝の花形スター
大楠公と称される父に負けず劣らずの人気を博し、皇国史観においては孝子・忠臣・博愛の将として激賞され「小楠公」と呼ばれる
その魅力は若くして散るというあまりに苛烈な生き様が発している

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逃げ若全巻読んだよ
この2人解き放っといて大丈夫なのか

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もう3人娶るからこの際どうでも良いのだが、若にとっての雫と亜也子の認識が、魅摩を選んだら即殺にかかるイメージなの酷すぎて笑ってしまう

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ヒトリタケナンテエラベナカッタのか

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・その他有象無象…信濃潜伏中にあちこちの世話になったであろう家が、多分箔付けの名目で「ウチの巫女は実は若君とデキてた」「俺の爺ちゃんの爺ちゃん北条時行」とでっち上げられまくったと思われる。巫女と子作りしまくったゴシップの風聞の元

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北条時行の御落胤、現状伝承レベルで3人確認されてるから正室3人懐妊で辻褄あっちゃうんだよな……

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一途な夫婦愛は現代基準では美談だが、この時代のこの立場の人間としては必ずしもそうは言い難い
特に直義の場合、中々子が出来なかったため直冬を養子にするという行為自体が直冬を嫌っていたとされる尊氏はおろか、その子・義詮の要らぬ疑念を招くことに繋がっており……

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長らく子を授からなかったにも関わらず1347年に妊娠して長男如意丸を出産
どれだけ若く見積もっても40代には到達していた筈なので、これもまた当時にしては相当に異例の高齢出産である
ただ時期としては正に観応の擾乱が巻き起こる頃であり、それがこの夫婦の不幸となった
 

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逃げ若武将名鑑【渋川頼子】
関東庇番渋川義季の姉で足利直義の正室。法名「本光院」
「頼子(らいし)」は江戸時代末期の『系図纂要』に見られる名
直義は正室以外に側室を持たない一途な将であり、中々子を成さなかったにも関わらずこの関係を続けたのは相当に珍しい

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無配も入稿しました〜!
逃げ若とネウヤコらくがき&古の学パロWeb再録です!
東4せ03a シャンパンゴールドにてどなたでもどうぞ〜❤️

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平和な世になり欲しがりの鬼が無欲になる&後醍醐死んだショックと政治めんどいで素の尊氏がやる気を失うのWコンボくせェな、これ……(素の尊氏も相当に問題児すぎない?)

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尊氏が政治全て直義に丸投げして田楽三昧の無気力期間入ってるし、本格的に欲しがりの鬼が弱まってるのかもしれない

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そういや今回の尊氏、これまでの奇行と違って配下の反応が「おまえが」一択で不可解なカリスマが発揮されてないんだな……土岐の認識のバグが弱まったのと同じように神力が弱まってる……?

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もう「北朝朝廷」の字面が面白すぎるからね。南朝の帝の崩御をそんなとこで大声で嘆き悲しんでんじゃねーよ!!

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あとはそろそろ二条良基もでてくるかな

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