「ティソン・デツェンの即位 その4」をアップしました。
ゲルシクの懇願を承諾したニャムサン。上司であるルコンの反応は……

『摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚』
https://t.co/705eC8nQCi

より


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「ティソン・デツェンの即位 その3」をアップしました
トンツェンは渋るニャムサンをゲルシクの館に連れていく

『摂政ナナム・マシャン・ドムパ・キェの失脚』
https://t.co/nbpmD8xWMp

より


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6.ティソン・デツェン
ナツォクという幼名は第5世ダライ・ラマ著『西蔵王臣記』に書かれています。うちにも原文ありますがそういえば確認していません(しろ)。
13歳でも王者の風格を持つしっかり者ですが、ニャムサンとサンシの前では普通の男の子です。

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肌にどう影を落とすかの実験。

ナツォク(太子時代のティソン・デツェン)
意思が強い子(ニャムサン曰く強情っぱり)の雰囲気が出したかった。

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ナツォク(ティソン・デツェン)
盛装させるか迷ってる。

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ティソン・デツェンの兄貴分と、シャン・ゲルツェンの兄貴分

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ツェポン妃マゲルドンガ
ティソン・デツェンの第一王妃。ラナンの最大のライバル😅
ティソンデツェンとの間には4人の王子がいたが長男は幼くして亡くなっている。ティソン・デツェンの跡は次男のムティクがついだが、ティソン・デツェンの死後ムティクを殺害し、三男のムルクをツェンポに即位させる。

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インド派と中国派の論争にうんざりしているニャムサン。
マシャンを排除し仏教の導入が叶うと、こんどはインド仏教と中国仏教の争いが起こります。ティソン・デツェン王はサムイェで宗論を命じ、敗れた中国仏教は弾圧されることになります。

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GtC塗りは乗算の上のオーバーレイにどんな色を乗せるかが大事なようですね。今回は結構思った色が出せました。
ラナンと似てるのは、もともとランダルマの造形を考えている過程で出来たキャラだから。
ランダルマはティソン・デツェンの孫でナナムの血が入ってるしいいかなと😅

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ナナム・ゲルニェン・ニャムサン
ティソン・デツェン時代の翻訳師。としか分からない人ですが、後世の仏教史ではツェンポの側近としてティサンと共にマシャンとルコンの失脚を策謀し、仏教導入に尽力した人物として登場する。

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ナナム・ゲルツェン・ラナン
唐との講和を進言してティソン・デツェンの信任を得て大相となり、清水会盟を実現させる。朱泚の乱では援軍を派遣して唐を助けるが、途中に離脱。その後唐との関係は不穏になり、会盟を装って有力な唐将渾瑊らを捕らえようとする平涼劫盟を起こした。

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ティソン・デツェン
古代チベット王国第38代のツェンポ(ティ・ソンツェンからは6代目)。
13歳で即位。二十歳になった時に廃仏派の尚論を排除して仏教を導入した。唐が安史の乱で混乱したのに乗じて唐の西部を占有し、チベット史上最大の領土を有した。



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シャン・トンツェンとド・ツェンワ
トンツェンはティソン・デツェンの即位前後はティサンと共に隴右方面に従軍の記録が残されている。会盟の主催もする有力な尚論。長安占領、僕固懐恩の乱にも参戦しているが、その後は不明。


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ゲンラム・タクラ・ルコン
大相バル・ケサン・ドンツァプによるティデ・ツクツェン王の暗殺の真相を暴き、ティソン・デツェン王の即位を助けた。長安占領、僕固懐恩の乱など軍事の功績もあり、ゲルシクに次いで大相となる。


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ようやくCtG塗りでも思うような色が出せるようになってきた。
ティソン・デツェン時代の名宰相グー・ティサン・ヤプラク




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ツェポン妃マゲルドンカ。
夫ティソン・デツェン王の死後、ツェンポとなった次男のムネを殺して三男ムルクをツェンポに即位させたと言われる。が、ムルクはすぐに(ナナム氏に?)暗殺され、結局ツェポン氏は実権を握ることは出来なかった。
どこの国も宮廷は殺伐としてる😓


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「極栄華 その3」をアップしました。
ティサンもルコンもいなくなって、ゲルシクはラナンを頼る。王の居室でふたりを迎えたのは……

「ナナムの血」 https://t.co/dUARw2LrOk

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