天平勝宝度の遣唐使、第二船の副使大伴古麻呂が鑑真和上を連れて帰国。前年十二月二十日に薩摩国阿多郡秋妻屋浦に漂着してました。
一・二・三船は蘇州より出帆して同時に一度沖縄に漂着してました。そこから運命が別れてしまいましたね。(清河方向チラッチラッ)

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袁晋卿、天平七年に遣唐使と共に来日しその後帰化しここで清村宿禰を賜姓されました。十八かそこらでなんで日本に来ようと思ったのかめちゃくちゃ気になってます。ここでの賜姓は玄蕃頭として唐使を迎えるのに日本人として対応させるためではという話を本で読みました。

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天平勝宝二年九月に大使藤原清河&副使大伴古麻呂で発足した遣唐使、一年以上経って吉備真備が副使に任命されましたが、副使二名体制は異例のことです。真備が従四位上で清河が従四位下、古麻呂が従五位上なのでこの時点で真備が一番上位という…。
(出発前に清河&古麻呂が昇叙されます)

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来唐していた渤海使に随い、丁度渤海からも日本への使節が計画されてたので来日する渤海使の船で帰国することができました。ただしこの渤海使も一部遭難して大使が亡くなってます。なんか散々でしたね。
(再掲絵の左の朝元は天平六年帰国)

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積極的に天長節をお祝いする光仁天皇の誕生日です。
天長節は唐の玄宗が天宝七年(748)から始めたようなので天平勝宝の遣唐使辺りによって伝えられたものかと思われます。
次の桓武の代では既に言及がなくなってしまって残念…。

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天平勝宝二年九月廿四日
任遣唐使。以從四位下藤原朝臣濂河爲大使。從五位下大伴宿祢古麻呂爲副使。判官主典各四人。

遣唐使を任命した。従四位下の藤原清河を大使に任じ、従五位下の大伴古麻呂を副使に任じた。判官・主典はそれぞれ四人を任じた。

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天平の遣唐使は歴代の中でも帰途が屈指の波乱の展開で、順当に帰国したのは第一船のみ。どうやらこの第一船に吉備真備や玄昉が同船していたようなので真備持ってるなあ。紆余曲折あっても第二船(出発から三年後)と第三船(出発から六年後)はなんとか帰国できましたが第四船は消息不明。

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天平度の遣唐使の発足です。
任命記事には出てない人も含めおおよそメンバーは以下の通り。
遣唐大使:多治比広成
副使:中臣名代
判官:平群広成・田口養年富・紀馬主・秦朝元
総勢594人

第一船・多治比広成
第二船・中臣名代
第三船・平群広成
第四船・田口養年富

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🦌春日うぐいす 今週のスケジュール🕊

コラボ配信があります!どちらも楽しみ~!
(台風接近のためイベント情報が不確定なので今週はこれだけにしました、週末は平城宮跡で天平たなばた祭りがあるよ!)

▷Youtubeチャンネル
https://t.co/4nor1Jcrs0

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お話が長いのですが(天平宝字辺りは本当に前置きが長い)、聖武天皇に「勝宝感神聖武皇帝」・「天璽国押開豊桜彦尊」の諡号が贈られました。
この辺りの天皇の漢風諡号って淡海三船が一括撰進したとされていますがここに「聖武」の文字があるように、それ以前に贈られたらしきものもいくつかあります。

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うちの創作唯一バニーキャラ天平(安達巻き込まれ)

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天平九年の疫病流行にて、藤原麻呂が亡くなりました。藤原四兄弟では二人目となる薨去です。
この年の前半は持節大使として陸奥に派遣されたりもしていたばかりなので疫病の恐ろしさを感じますね。
麻呂は漢詩が面白いし、文学的にも政治的にもかなりポテンシャル秘めてた人だと思うのでとても惜しい…

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聖武天皇と言えばこの「天王貴平知百年」の🐢。
意味は「天皇の政治は貴く平和で、百年も続くであろう」。
この後この亀がきっかけで元号の「天平」が爆誕します。

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去年、天平祭りで見た胡蝶ちゃん

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終末鳥的故事(7 & 8/13)
終於到了我最喜歡的審判鳥的部份了,原本掛在脖子上的天平改成耳飾,這樣比較適合漂亮妹子~
另外講個小知識,在腦葉公司的審判鳥資料上的故事有寫到,"為了守護森林,它把自己的眼睛贈予了大鳥"。因此我也還原這部分,大鳥的耳飾其實就是審判鳥給的她自己的雙眼~

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天平遣唐判官 4️⃣人✨️

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【イベント】好去好来 君が船! https://t.co/tKVDqj6aO8
明日の遣唐使WEBオンリーに参加します!!
新刊は天平遣唐使組中心の漫画です。
グッズも出し…たい!

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この右大臣は真備で、この正二位が真備の極位になります。極官である右大臣には天平神護二年に任命されており、既に一度致仕する意志があったし、左大臣永手よりも20近く年上なことを思うと単純にすごいなと思います。(こなみ)

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