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橋本雅邦氏の龍虎図が頂点で
偉大な太鼓台の刺繍文化を発展させた尊敬する先生の龍に憧れているが
描く度に自分の龍の顔が1番格好いいので描くモチベーションになっている…
橋本雅邦・狩野芳崖から山口蓬春・鏑木清方まで続く日本画、高橋由一・本多錦吉郎から萬鉄五郎を経て佐伯祐三まで至る洋画。これまで学んだ知識を総動員してひとつひとつの作品とじっくり向き合い隣同士に作品が並べられた理由を考えながら「『近代』を意味あるものとした」足跡を探りたどっていった。
橋本雅邦です。芳崖と狩野派の修業時代を共にした盟友です。近代日本画の祖の一人です。維新の動乱期の後、フェノロサや岡倉天心と出会い東京美術学校(後の東京芸大)の主任講師として近代日本画を教えました。芳崖は学校ができる前に亡くなったので当時の日本画の最高峰が雅邦でした。
東京藝術大学大学美術館「藝大コレクション展」第2期は、戦前に活躍した日本画の巨匠たちの名作がずらり!
新興大和絵を提唱した松岡映丘とその弟子筋の作品に始まり、橋本雅邦、狩野芳崖、川合玉堂、横山大観、小堀鞆音など、藝大の前身・東京美術学校関係者の大作・傑作揃いです!※許可を得て撮影
【狩野芳崖 かのうほうがい】
1828-1888 山口下関出身。画家。近代日本画の父。号は松隣,皐隣。同期は橋本雅邦。河鍋暁斎,菊池容斎らと狩野派の最後を飾る。勝川院雅信に師事。塾頭。絵には西洋画の写実技法や明暗法を取り入れた。佐久間象山と出会い心酔。悲母観音,不動明王,仁王捉鬼,伏龍羅漢,獅子図
【橋本雅邦 はしもとがほう】
1835-1908 江戸出身。日本画家。号は勝園,克己斎,酔月画生など。御用絵師の父のもと狩野派を学ぶ。勝川院雅信に師事。狩野芳崖と同門。東美校初代教授。狩野派を基礎としつつ洋画の遠近法等の技法を取り入れ明治期の日本画を革新。院展,二葉会,画宝会。白雲紅樹図, 竜虎図
【横山大観 よこやまたいかん】
1868年茨城の水戸出身。本名は秀麿(ひでまろ)。朦朧体(線描を抑えた没線描法)を確立した日本画家。東京美術学校の第1期生で岡倉天心・橋本雅邦らに学ぶ。第1回文化勲章受章。贋作が非常に多い画家であり、真筆と判定された作品に「大観番号」を付けられ保護されている