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連歌では道誉の真似を皆がしたとか、茶では名物「九十九髪茄子」を見出して義満に献上したとか事実伝来含めて様々な文化にその名を残す 庶民文化の「猿楽」にも目を付け、観阿弥・世阿弥と交流を持ち、映画にもなった犬王を日本一と褒め称え「能」に大成する一助になったとか #逃げ若 #逃げ上手の若君
代名詞の「婆娑羅」にさえフェイクが混ざってて油断ならない道誉ですが、貴族文化への熱量は本物 勿論文化を通して公家とのコネを作る政治的役割は否定できませんが、道誉の場合は影響力が大きすぎる 一説には華道において最古の伝書とされる『立花口伝大事』も道誉の口伝とか #逃げ若 #逃げ上手の若君
『逃げ上手のラスボスと鬼 1352』 (⚠️史実バレあり/若が成長してる/ほんのり憲直)
流石に流刑となりますが、その際に比叡山の神獣である猿の皮ファッションで練り歩いたというから正に婆娑羅 流刑の様子は「物見遊山」のようと記され、翌年には幕政に戻ってることも考えると寺社勢力に脅しをかける為の幕府と示し合わせた謀略とも言われているのも道誉らしい #逃げ若 #逃げ上手の若君
文化面でも欠かすことが出来ない人物であり、この時代の武士のトレンドである「婆娑羅」の代表格とされます 婆娑羅とは権力に媚びずイキった服装や行動を貫くロックな生き様 道誉も息子がトラブルを起こして揉めた比叡山系列の妙法院を逆ギレ気味に焼き討ちする様を見せる #逃げ若 #逃げ上手の若君
ただこの局面でも軽率に足利を討つことを選ばなかった辺りが道誉の可愛げというか誠実なところです 義詮の代になってからも仁木義長、細川清氏、斯波高経といった足利首脳陣を追い落とす暗躍を続けるも、全て義詮の利になっている ミまへの譲状からして家族もちゃんと愛してる #逃げ若 #逃げ上手の若君
ただ箱根竹ノ下の戦いでの偽装降伏の前の手越河原で実の弟が戦死しており、本当に偽装だとするとあまりに犠牲を払いすぎである 擾乱でも実際に後村上天皇から「足利家を滅ぼせ」という綸旨が下されており、本当に尊氏を裏切るルートもあった 常に全力で博打を打つのが道誉流 #逃げ若 #逃げ上手の若君
道誉はこの手の偽装をかなり常習的に行なっていた節がある 尊氏と直義が対立した観応の擾乱においても尊氏派だった筈の道誉に謀反の疑いありとして尊氏が挙兵してますが、これは京都にいる直義を包囲する為に尊氏が軍を動かす名目を作る偽装と言われている #逃げ若 #逃げ上手の若君
倒幕後は雑訴決断所に勤務するなど建武の新政に加わりますが、中先代の乱に合わせての挙兵に同行し活躍 そのまま尊氏の新政への反逆に従うも、手越河原の戦いで敗北して新田義貞に降伏 しかし次いでの箱根竹ノ下の戦いでは足利軍に加わっているため偽装降伏とも言われている #逃げ若 #逃げ上手の若君
元は北条高時に仕えた御家人であり、その頃の名前は奇しくも生涯の盟友と同じく「高氏」 高時から一字賜ったものと見られ、高時が出家するとそれに倣って出家して「道誉」の法名を名乗ります 倒幕時の動向は不明。『太平記』では尊氏を焚き付けたとも書かれますが信憑性は皆無 #逃げ若 #逃げ上手の若君
佐々木氏は宇多源氏を称した一族で平安末期から近江国を中心に栄えたため「近江源氏」とも呼ばれます 道誉はそんな名門佐々木氏…の庶流である京極氏のさらに傍流の出身 ですが本家の後継ぎが亡くなったことで養子として京極氏を継ぎました。そのため京極道誉表記の場合もある #逃げ若 #逃げ上手の若君
逃げ若武将名鑑【佐々木道誉】 南北朝稀代の腹黒策師にして元祖婆娑羅大名 暗躍が大好きなトリックスターで彼が寝返った際には何らかの策謀を張り巡らせてる可能性が高い 尊氏相手にも裏切る顔をしながら結局孫の代まで面倒を見続けたズッ友で在り続け逆の意味で裏切った #逃げ若 #逃げ上手の若君
👻ときゆき👻 #逃げ上手の若君 #逃げ若
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#これを見たやつは座ってる画像をあげろ #逃げ上手の若君 二期決定🎊 #逃げ若 #1日一点とにかく描く #今日は何の日 #もっとアタシの絵が見たいと思ったらフォローしてね
信濃宮と呼ばれる本拠地大河原城に帰還後も抵抗しますが挽回できずそのまま吉野に帰還 『新葉和歌集』完成後の動向は定かではないですが、一説には信濃宮に戻りここを終の棲家にしたと言われています 南北朝動乱をよそに心穏やかな皇子は我を通して歌を詠み続けたのでしょう #逃げ若 #逃げ上手の若君
しかしその後の戦績は「君がため/世のため何か/をしからむ/捨てて甲斐ある/命なりせば(帝の為、世の為に命を惜しまず戦え!)」と勇ましい歌を詠み兵を鼓舞するも振るわず 南北朝の征夷大将軍の激突は北朝勝利に終わります 余談ですがこの歌は後に坂本龍馬が好んで引用する #逃げ若 #逃げ上手の若君
北朝の勅撰和歌集『風雅集』で自分が選考対象外だと知って憤る辺り、最早立場を忘れてる気がしないでもないが観応の擾乱に乗じる形で挙兵 征夷大将軍に任じられ「まさか余が弓を身に付ける立場になるとはな」という和歌を詠みつつ、時行や義興を動員した大勢力で鎌倉を占拠 #逃げ若 #逃げ上手の若君
かなりの苦難に遭っており、歌の中でも悲哀を滲ませてるのに割と余裕そうに見えるのは、間違いなくこの和歌キチとも言える性格故でしょう 香坂高宗に保護されて信濃に逗留してからは「心穏やかに過ごせてる」と語り京の歌仲間とも連絡を取り合うなど和歌エンジョイ生活を満喫 #逃げ若 #逃げ上手の若君
遭難後は自ら刀を振るう程の窮地に立ちますが、井伊家に助けられて再び井伊谷に潜伏 父の死を聞いて哀しみ和歌を詠み、後を継いだ弟の後村上帝と和歌でやり取りし、井伊谷が陥落する際にも和歌を書き残し、漂流しながらも和歌を詠み…… 和歌詠みすぎじゃない!? #逃げ若 #逃げ上手の若君