劇中での道誉評のように「凡人や無能の気持ちがわからない」から想定外の事態に対応できず、師直評のように「先進的な政策もあるが無駄が多く現実に即さない」机上の空論のような施策の多さが建武の新政の弱点でしょう
天皇のワンマンでどうにか出来る時代じゃなくなっていた
 

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例えば雑訴決断所の「土地問題を審理と強制的な命令で解決する」のは正常な行政の在り方です
実際、高師直は執事施行状という「土地問題が起きたら武力で治める」暴のシステムを組み込み機能させた
ただ、朝廷には既にシステムを機能させるだけの武力も権威もなくなっていた
 

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どの政策も共通しているのは進歩的な部分と反動的な部分が混在となっていることで、これらがどうしても噛み合わず机上の空論に終わったり、朝令暮改の政治になった要因でしょう
どれもやろうとしていることや仕組み自体は間違いではない部分があるのも複雑なポイント
 

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このような形で武士・貴族双方から疑念を持たれ始めた建武政権ですが、そんな中で大内裏を新築する為の増税や、新貨幣と紙幣の発行といった経済政策で更に不信感を強める事態に
紙幣発行は中国の政策の模倣で、中国密教マニアの帝ならではの発想でしたが大内裏新築と共に頓挫
 

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貴族ばかり贔屓したと言われてますが、実際は上記のように土地の権利の裁定が遅れに遅れた結果そう見えたとも言えます
武士に高い官位を与えたりする姿勢にしても武士冷遇の意志はない
ただ、これも北畠親子に武士に無闇矢鱈に官位を与えるな!と批判される要因になっている
 

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あー……でも直後に弧次郎の実父が北条の御内人なの蒸し返されたの考えると、弧次郎も実は工藤氏の血筋の出生で「祢津小“次郎”」であると同時に「工藤次郎」であるという方向にも持って行けるのか……

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赤沢氏は小笠原氏の庶流であり、発祥こそ伊豆の赤沢郷ですが、宗家と共に信濃に渡っています
貞宗の母も赤沢氏出身であり、常興とは血縁も近しい間柄だったのかもしれません
なお逃げ若で弟とされる新三郎の存在は確認できませんでした。マイナーな書状とかには載ってるのかな

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逃げ若武将名鑑【赤沢常興】
中先代の乱で小笠原貞宗に付き従った武将
北条残党の鎮圧の功を持って領地を与えられ、塩崎城を立てて拠点とした
貞宗と共に小笠原流礼法の成立にも関わっていたとされ、礼法の基礎たる『修身論』と『体用論』もこの2人の共著とされる

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てっきり工藤次郎かと思ってたこの人、姓が「南条」で「ん?」となったが、藤原南家工藤氏の一族の中に「伊豆南条氏」もあるから結局工藤次郎っぽいな

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C105両日ともスペース頂けてました!【初日:東ソ21b(原神)】【2日目:K63a(逃げ若)】だそうです。絶賛風邪っぴき中ですが、ナタ御三家仲良しとかペルクリとか、頼若とかで新刊出したいと思ってます。宜しくお願いします〜

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◎貴方のサークル「アイスクレヨ」は、月曜日 東地区 “K ”ブロック-65a(東1ホール) に配置されました。

冬コミスペースいただけました💕
新刊は逃げ若(若&こじ)温泉本予定です🌟
よろしくお願いいたします✨

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最近のngwkらくがきとハロウィンまんがをまとめてきました、まとめて見たい方はリンクからどうぞ!
逃げ若log004 | 潤 https://t.co/e3OdZmvSKy

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今週号の逃げ若らくがきです。
温泉シーンとか若のハーレムの予感だったけど、若の心を捕らえていたのは真のヒロイン、のざ殿だったというの、好きすぎる。マジでそう思った。
どーよ、お前コンニャロ💢だけど可愛いな!成長よしあきらちゃん!?!?色々と情報量の多い巻頭カラーでした。

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逃げ若本誌カラーページの若の袖、塗りミスかレイヤーミスしてる?

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今週号の逃げ若の親王様達!!お顔がわかる親王様がいて嬉しかったです。
ngwk的には出てこない可能性が高いけど、かねよししんのーの意志の強そうな顔がいいですな!

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逃げ若/🎃happy Halloween!!👻(続)吹雪に沢山食べさせたい
前の↓
https://t.co/myx6jkeJNb

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雑訴決断所も同じような問題を抱えていて、このように有耶無耶になった土地問題を一つひとつ精査しようとした結果、問題が山積みとなりパンク状態に
土地に居座る武士に出ていけと綸旨を出しても無視されたり居直られたりする始末なので、結果綸旨自体の価値も貶めることに
 

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そもそも武士への恩賞自体が問題になっている部分もある
後醍醐帝は最初自らの手で全ての北条の土地を再分配しようとしましたが、恩賞欲しさに手柄を盛ったり嘘を吐いたりする武士が多数
例えば日置氏は早くから味方していたとして、書類の日付を書き直してる跡が見つかってる

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天下を朝廷に戻した後醍醐天皇が始めた建武の新政ですが、倒幕時に護良親王が令旨をバラ撒きすぎた反動が早速来る
後醍醐としては天皇の出す命令の綸旨を絶対としたいのに、護良が勝手に恩賞の約束をした令旨が邪魔になったのです
これが護良との軋轢の一つと言われている

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