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新型コロナ感染防止のために外出自粛を求める政府。しかし相変わらずその根底にあるマインドは「焼夷弾は恐るるに足らず逃げずに消火せよ。逃げるものは非国民」の現代版。「補償などあてにせずに自宅に篭城してコロナと戦え」ということ。坐して死を待つわけにはいかぬ。
#自粛と補償はセットだろ
古写真・米軍撮影による阿久根空襲の写真2枚(市街地・田野澱粉化工場。昭和20年8月12日) https://t.co/fewY91AC4e A-20ハボックによる焼夷弾攻撃で阿久根の市街地は炎上。この日の空襲で阿久根の市街地は壊滅。2枚目は市役所近くにあった田野澱粉化工場。爆撃に晒される様子が生々しく写されている。
政府が緊急事態条項を悪用して余計ひどくなる予想しかできないので反対です
#緊急事態条項 #緊急事態条項への誘導作戦
日本政府は焼夷弾が降り注いでも庶民に逃げずに消火活動に励めとか糞指示出すレベルから進歩してない
普通にウイルスから逃げずに助け合って自助努力で看病しろとか言いそうやもん https://t.co/K6M4WxDMt9
「まってぇ!!おいてかれこだまのわからなこだまかもしれない!!!」
【大玉小玉の疑問】
多めに作っていたとしても、1つで建物を燃やす威力がある焼夷弾がなぜ現場に2つも落ちているのだろう?しかも、1つは二十八のすぐ近くに落ちていた。
米軍自身も、1945年3月以前は「軍需目標に対する高高度(一万メートル)からの精密爆撃」を行なっていた。
しかし、後に「鬼畜ルメイ」と呼ばれるカーチス・ルメイが指揮官となり、事態は一変する。
木造家屋を焼く為開発した焼夷弾を用い「皆殺し手法の空襲」が、3月10日の東京大空襲から始まった。
たまやの夏コミ新刊は、 #この世界の片隅に 関係弾薬本の総集編、「この弾薬箱のさらにいくつもの片隅に」です。総集編とはいえ、M50焼夷弾の項目に新規描きおろしを追加し、海軍25mm機銃弾薬の項目を新設、ほか色々中身が増えています。2000円です。
1945年7月6日 本土爆撃
清水空襲
23:30~、米第20空軍B-29 133機、静岡県清水市街地(現静岡市清水区)を焼夷弾爆撃。
死者151名。
(清水区は私の故郷でもあります)
8月1日 本土爆撃
長岡空襲
22:30~00:10、米第20空軍B-29 125機、長岡市中心部を焼夷弾爆撃。中心部市街地の約8割が焼失。死者1,486名・被災者74,508名。
7月6日 本土爆撃
清水空襲
23:30~、米第20空軍B-29 133機、清水市街地(現静岡市清水区)を焼夷弾爆撃。死者151名。
(清水区は私の故郷でもあります)