逃げるのが上手な若君

逃げ上手の若君だ

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手紙には戦する費用も人手も足りない中小武士の悲哀が記される
百姓に反発されたり高利貸しから借りたりして兵や金を工面する様子や、戦場でも家族を案じる姿が涙を誘う
歴史とは表にいるスター選手だけでなく、こういう裏の脇役が沢山いて紡がれるものだと気づかせてくれる

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逃げ若武将名鑑【山内経之】
常陸合戦に参加した武蔵国土淵郷の武将
高幡不動尊の不動明王像の胎内から見つかった通称「胎内文書」の執筆者
歴史の表舞台に立つことはまずない超マイナー武将だが、それ故の身近でリアルな筆致は貴重で『日野市史史料集』にまとめられている
 

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その意味不明裁定の影響か、しばらく消息不明になるも、実父の憲顕の死後に従兄弟の朝房と共に関東管領に任じられたことで復帰
2代目鎌倉公方の足利氏満には信頼され、病に臥せった際に管領を辞職するも、回復すると復職を命じられている
その後、滅茶苦茶綺麗に死んだらしい

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能憲の養父を殺された恨みは深かったと考えられるものの、高一族暗殺は流石に彼の独断ではなく直義と示し合わせての行動とみられます
その後、激怒した尊氏に死罪を命じられる意味不明なことが起きたが(尊氏は負けた側である)意味不明すぎてその辺はうやむやなまま終わった

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逃げ若武将名鑑【上杉能憲】
上杉憲顕の子だが叔父の重能の養子になっている
重能が高師直に暗殺されたことで「高一族絶対殺すマン」と化して関東で高師冬を攻め滅ぼす
師直ら高一族の出家を条件に直義と尊氏が和睦した後も許さず、京に向かう途上の高一族を襲撃して賊滅した

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逃げ若では重能の養子になったように描かれてますが、実際に養子に取られたのは弟の能憲だけです
憲将の公的な記録での初出の活動は1343年の尊氏・直義の生母(上杉家出身のため憲将にとっての大叔母にあたる)の葬儀で、憲顕の代理で弔使を勤める
このナリで葬儀に……?

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逃げ若武将名鑑【上杉憲将】
上杉憲顕の嫡男
基本的に父憲顕の代理としての活躍が多く、上杉家が信越地方に没落した際は、彼が実質的な守護職として前線に立っていた
父よりも早く亡くなったため、最終職歴は越後守護代。山内上杉家の跡継ぎにはなれなかった

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一応、北朝を完全に見捨てたわけではなく、南朝側で師直らを朝敵認定する一方で南朝と北朝の講和交渉も進めている
ただ、ここで尊氏を朝敵認定はしなかったこと、北朝と自身の理想の政治を切り捨てられずに交渉が難航したことが直義の弱みとなってしまうのだが……

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師直はおろか尊氏もだいぶ直義のことを「戦が弱い」と舐め腐っていたと見え、直義が京都から失踪した時も放置していた
そして次に姿を現した直義は南朝側に寝返っていたワケで完全に虚を突かれた形となる
九州の直冬との連携も見るに相当綿密に戦の絵図を描いていたと思われる

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仮にも北朝を立ち上げた将軍の弟で、ついこないだまで北朝政権の中心にいた有力者が、北朝を見限って南朝側に回る
「そうか、直義って尊氏の弟だったね!!」と痛感せざるを得ない反則技である
直義が南朝につくと同時に各地で直義派の武将も挙兵。勢い付いた直義は最強だった

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逃げ若武将名鑑【足利直義(南朝)】
本格的に兄の尊氏に失望して見限った直義が取った掟破りのウルトラC
なに直義?北朝で孤立してしまって師直が殺せない?
直義それは北朝に拘っているからだよ
逆に考えるんだ「南朝に降伏してもいいさ」と考えるんだ

いいわけないだろ……

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嫡流は滅びたものの、後に武田信玄に登用され名を馳せるのは海野家の末裔たる真田家
三途の川の渡し賃たる六文銭の家紋が繋がりを示す
とまあ子孫は続いてるんですが、海野幸康が童貞だったかは不明
……というかこの時代の一国人の系譜なんてロクに残ってないからわからんよ

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平安時代に滋野氏から分かれた支族の中で海野氏は嫡流を名乗り、東信濃の有力国人として栄えました
しかし幸康の戦死後の海野家は村上家と仁義なき戦いを繰り広げ、いつしか諏訪家からも離れて関東管領に接近
戦国時代には遂に武田・村上・諏訪連合軍に攻め滅ぼされます

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逃げ若武将名鑑【海野幸康】
諏訪神党中軍大将
信濃の有力武家滋野氏からの派生の一族で、他の分家の望月・祢津と共に中先代の乱に参戦した
諏訪神党では中先代以降の動向が不明瞭な将が多い中、幸康の動向はハッキリしており、1352年の武蔵野合戦のうち笛吹峠で討死している

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来週のタイトルが『逃げ上手の若君SAGA』なのかいきなり柳龍光が現れるのかで、玄蕃への仕置き内容が変わってくる。後者の場合は玄蕃の頭から皮を剥ぎとり、足からは一寸刻みに肉を削ぎ、長い時間をかけて死に至らせる。そして男根の痕跡を人目にさらし、苦と惨と悲をからめて地獄に落とす

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その後、尊氏は関東から上洛した嫡男義詮を直義の後任としており、当時から「御所巻は直義を追い落とすための狂言だったのではないか?」と噂されたことは付記しておく
実際直義は尊氏の血を引く直冬を養子に取り、待望の実子も産まれる等、尊氏が危機感を募らせる理由はある

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尊氏は「家臣の手にかかるなら兄弟ともに死のう!」と“いつものアレ”を発動したりするが、夢窓疎石の奔走もあり暗殺未遂犯の流罪と直義の出家引退で話がつく
ただ、この際の尊氏の行動はいつものアレは兎も角、最愛の弟のピンチにも関わらずあまりに酷薄で疑念が持たれる

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師直による最初の御所巻のきっかけは、直義による執事解任と彼の側近である上杉重能らによる暗殺未遂であり、怒った師直は直義を討つため挙兵
直義は尊氏の邸宅に逃げ込み(なお直義邸は尊氏邸の真横にある)その身柄引き渡しを求めて師直はそのまま包囲を続行した

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