大徳王寺城の戦い、「偵察兵不足で悩む保科→祢津氏の鷹」で打開の流れが中先代の前哨戦リフレインで同窓会的な側面が強くなっている。一方、上杉兄弟のやり取りは足利兄弟のやり取りによく似てるんだよな(まあ実際に従兄弟同士なんだが)

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あー……でも直後に弧次郎の実父が北条の御内人なの蒸し返されたの考えると、弧次郎も実は工藤氏の血筋の出生で「祢津小“次郎”」であると同時に「工藤次郎」であるという方向にも持って行けるのか……

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てっきり工藤次郎かと思ってたこの人、姓が「南条」で「ん?」となったが、藤原南家工藤氏の一族の中に「伊豆南条氏」もあるから結局工藤次郎っぽいな

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逃げ若本誌カラーページの若の袖、塗りミスかレイヤーミスしてる?

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逃げ若本誌感想 そこそこ存在しない記憶

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道誉「ド~ヨッヨッヨッ!私は変節漢のバサラドヨからねェ~ッ!!よぉ~く手綱を引いてないと後ろからブスリでドヨよォォォ~ッ!!」みたいなツラしながら足利将軍家にはかなり忠実なおじさんだからな……

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佐々木道誉の譲状、冗談にしても「魅摩は若いから120年生きる」って書いていて、実際に人類が生きられる最大値が大体120年っていうのは偶然にしても興味深い。因みに「人間は125歳まで生きられる」と近いことを日本で最初に唱え出したのは早稲田大学創設者たる大隈重信

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地味に出てきてるこれは成長後の義詮なのか、それとも3代将軍の義満なのか……

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佐々木道誉が史実の時点でおじさん構文みたいな文書遺してるの、味わい
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恐らくは藤沢政頼。平安時代末期に諏訪家から分かれた分家が伊那郡藤沢に拠点を構えて藤沢を名乗っているのでその一族。しかし小笠原貞宗にその座を追われ、頼継が諏訪大社の大祝(主)に新たに任命されたと「諏訪大明神絵詞」に語られているが、後の文と齟齬があるため後付けとも

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結城宗広は死に際に起き上がり「我が墓前に朝敵の首を供えよ!!」と叫び絶命なされた

『太平記』に記された宗広の最期だが『平家物語』で稀代の悪人とされる平清盛の最期から丸パクリしている。有名作からパクってまで宗広を地獄に堕としたい太平記筆者は本当になんなんだよ……

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逃げ若本誌メモ

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神が人に成る条件が「愛」なのあまりにロマンチックすぎて素敵な話なんだよな……

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逃げ若本誌の(ほぼ)存在しない記憶

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逃げ若本誌
頼重より先にわたしがここで泣いた

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時行が独立遊軍になったの6月10日で、新田義貞の最期が7月2日だから今から行ってギリギリのギリかなァ……斯波家長の父高経も絡んでるし、これで鬼丸・鬼切が揃って辻褄合わせも出来そうだし、義興連れての北陸篇やるかも……

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息子の最期を聞いて超高速で目元をスッとして一瞬でも涙を見せない親房卿、恐らく大河ドラマ『太平記』で顕家が死んだ後も冷静沈着に振る舞いながら、一人になった瞬間におしろいが流れるレベルに号泣した近藤正臣演じる親房卿の名場面のオマージュ

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逃げ若本誌セリフバレ
この決意、かっこよくて泣いた

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顕家卿が示した公家の意地、更に貴族が権力を失った安土桃山時代を描いた『信長のシェフ』でただのかませ貴族と思われた勧修寺晴豊も語っていた「文化の継承者」として最重要なことであり、今日こういったコンテンツを楽しめるのも、文化を紡ぎ続けた彼ら先人あってこそですね

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