深碧 しんぺき


138色め。緑色の碧玉のような、深いみどり色。碧玉とは不純物の混ざった石英のことで、その成分によって赤や緑や黄色やらがあるらしい。その緑の色。鉱物もハマったら奥深そう。

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夏虫色 なつむしいろ


135色め。夏の虫…蝉または青蛾のいろとある。ははぁ…セミが羽化した直後のあの色と、田舎行くといるあのどデカい蛾の色ですね。確かに夏らしい色ではあります。虫苦手なので写真は貼りませんが笑

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浅葱色 あさぎいろ


133色め。緑みの強い薄い藍色。タデアイで染める藍染の染め色のひとつで、その名の通りネギの葉にちなんだいろ。藍染の色は本当にたくさんあるけれどー浅葱色といえばアレです。新撰組の羽織のダンダラの色ですね。

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INTERVIEW【WITHIN DESTRUCTION】
「”Yokai”は妖怪、平安末期に鳥羽上皇の寵姫であったとされる伝説上の人物、狐の化身 “玉藻の前”についての楽曲なんだ」
スロベニアの残忍王はトラップと日本の伝統文化、そしてオタク魂でメインストリームへの野心を遂げる。インタビュー!
https://t.co/ByPsL5oi07

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小麦色 こむぎいろ


131色め。小麦の実のような、少しだけ淡く赤みのある黄色。世界で一番作られている穀物、小麦。弥生時代には日本でも作られていたけれど、水が豊富な日本では米が食用として選択された。そのため色名としては英名のWheatの訳として近代に使われるように。

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中島岳志さん評/高田宏臣さん著『土中環境 忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技』(建築資料研究社)
<日本の伝統的な土木造作では、「地形自らが安定していくように仕向ける工夫」がなされてきた。そこで発揮されたのは、自然を統御する力ではなく、自然に沿う知恵だ>
https://t.co/72nnSHb9sj

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フリー素材:日本の伝統文様 オパンツ

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桃色 ももいろ


130色め。赤と白をほどよく混ぜた、一般的なピンク色。奈良時代の昔は本当に桃の花で染めた色々を指して桃花褐(ももそめ)としていた。モモは実もピンク🍑花もピンク🌸皆さんこの夏にモモは食べましたか?わたしは食べました笑

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おはジュール🐟☀️

本日9月10日は なんですって‼️🏹
日本の伝統武道である弓道を広め、弓道の魅力を多くの人に伝える記念日😆

そして今日も、#新潟手帳2021 コラボ表紙発表いたします!

それでは本日もよろしくお願いします!

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二藍 ふたあい


129色め。紅花の赤色と藍染の青色の二度染めによってできる紫色。色名というか、染め方とも言える。紫色は原料のムラサキ草が貴重なため太古からとても高価。なら混ぜて作ってしまえば良いよねという発想。

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おはようございます!

9月10日は「

日付は「きゅう(9)どう(10)」(弓道)と読む語呂合わせから。日本の伝統武道である弓道を広め、その魅力を多くの人に伝えることが目的だそうです😊

遠くから小さな的に矢を当てるなんてすごいですよね‼️

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日本語をお勉強中の友人が
「風情や風流という日本の伝統について」

という内容の論文を書くそうで

「風情とはなにか」
「風流とはなにか」

という質問に3時間答え続けたときの
私の気持ち👇👇

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桔梗色 ききょういろ


128色め。桔梗の花のような、少し紫みを帯びた青色。桔梗という名前は平安時代から使われだしたけれど、そのまえの古い名前はあさがおだったそう。今年の大河の明智光秀のとこの家紋は桔梗。知らなかったけど絶滅危惧種なのね…😓

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薔薇色 ばらいろ


127色め。赤系の薔薇の花のような、鮮やかな紅色。別名そうびいろ、しゅうびしょく。バラはチベットや中国の雲南省、ミャンマーあたりが原産で、そこから世界中に広がった。南半球では自生しないそうだ。薔薇色の日々と云われるように幸福のいろ。イエモン笑

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日本の伝統文化だから勝てると思ったのに(根拠なし) 4/4
*オリジナル管理人、セフィラのキャラ崩壊に注意。

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日本の伝統文化だから勝てると思ったのに(根拠なし) 3/4
*オリジナル管理人、セフィラのキャラ崩壊に注意。

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日本の伝統文化だから勝てると思ったのに(根拠なし) 2/4
*オリジナル管理人、セフィラのキャラ崩壊に注意。

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日本の伝統文化だから勝てると思ったのに(根拠なし) 1/4
*長編注意!
*オリジナル管理人、セフィラのキャラ崩壊に注意。

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9月2日は【天心忌】
近代日本美術史学の開拓者と言われる岡倉天心は、1863年に横浜で生まれた。急激な西洋化が進む明治時代に日本の伝統美術の素晴らしさを国内外に広めるために活動し、近代日本美術の発展に尽くした。1913年9月2日、50歳でこの世を去った。

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