「源貞宗」とありますが、これは小笠原家が清和源氏の出身である為の氏読み
清和源氏の一派甲斐武田氏の分流であり、甲斐国巨摩郡小笠原に所領を持っていたことからこの苗字に
その後、信濃に土着した一族が貞宗の先祖ですが、2代目が比企能員の変に連座していきなり失脚

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逃げ若武将名鑑【従五位下 治部大輔 信濃守護 小笠原源貞宗】
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将
信濃守護を務めて戦国時代にまで続く小笠原家の礎を築き上げた
小笠原総領家では小笠原流礼法中興の祖として称えており、現在も歴史にその名を遺す

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【Tips】鳥の音も/なへて聞えぬ/山にしも/なれはなきける/時鳥かな
撰者宗良親王の准勅撰和歌集『親葉和歌集』撰入の一首
作中では宗良親王が詠っているが、実際は住吉大社の歌合で詠まれたよみ人知らずのもの
約1420首の中から時行に合う和歌を見つける松井先生のワザマエよ

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大晦日は「逃げ上手の若君」マラソン視聴中。
第一話頭5分ほど見て一気にまとめて見たくなったのでそこで一端視聴を止めてたのです。
面白い。
そして諏訪頼重 、良いなあ。

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かぶき町のクリスマス🎄(再掲🙏)

くりすますぅ?
美味いご飯とお酒でバカ騒ぎできたら
なによりじゃないか✨
甘党のバカもマヨ党のバカも
逃げ上手のバカも
立場は忘れて
今夜はスナックお登勢で宴だよ✨🍻✨

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翌年に反乱を起こした「高景」なる人物もいるが、これは安達高景と言われる(ただし『太平記』では安達は幕府滅亡時に東勝寺で自害している)
正直全体的にぼんやりした印象の人物だが、その後も歴史に名を残す「工藤」は現れる
北条時行と共に刑死した忠臣「工藤二郎」である

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千早城の戦いは途中足利高氏の謀反で楠木正成の粘り勝ち
最期は不明瞭。六条河原で斬首された者の中に「公藤次郎右衛門尉・五十二歳」なる者がいるが、これは年代不明の記録で年齢も合わない
足利に投降して生存したとも言われるが投降者も多くは斬首されてるのでどうだろうか

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「左」は的始めで一番射手を務める弓の名手で若手ホープとして書かれる
「右」は千早城の戦いの戦勝祈願の連歌会で「さきかけてかつ色みせよ山桜」の発句から「嵐や花のかたきなるらん」と返すも「花である我々が嵐に吹き飛ばされてない?」と場の空気を微妙にした逸話が残る

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高景もどの工藤氏の出身なのかがイマイチ判別がつかず以前は長野工藤氏、現在は奥州工藤氏が有力とみられます
加えて先述の「左」と「右」の表記揺れ問題もあり、複雑になっている
逃げ若においては「右衛門」の方は息子という形にして後年ごっちゃにされた見解としてる模様
 

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まず工藤一族自体の派生が異常に多く、駿河・伊豆・甲斐から始まり、そこから全国各地に分派して土着
苗字自体も土地に合わせて変質して「二階堂」や「鮫島」など原型がなくとも工藤一族ということがある
逃げ若で登場した「南条」も伊豆南条氏という工藤氏の支族とみられる

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逃げ若武将名鑑【工藤高景】
御内人。『御的日記』に記録が残る「工藤次郎左衛門高景」のことかと思われる
異様に表記揺れする存在であり、『太平記』で千早城攻めに参加した将に「工藤二郎“右”衛門尉高景」の名があるが、これも左と右を盛大に間違えたものとみられる

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『太平記』では慎重派として描かれており、尊氏討伐に出兵を促されても「アイツも悪いヤツじゃないんだよ……父上弔ってくれたし……」と渋っている。それが「?」ではなく「≠」な由来かもしれない
とは言えアンチ足利として戦い続けるが最期がいまいち不明瞭だったりする

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逃げ若武将名鑑【新田義宗】
新田義貞の三男だが、この漫画だと何故か義興が三男になっている
兄達を差し置いて昇殿していることから嫡子で新田の正統後継者と思われる
1340年には信濃国境付近に進出しており、翌年5月に小笠原貞宗と上杉憲顕に拠点を壊滅させられている
 

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逃げ上手の若君18巻感想らくがきまとめました。 19巻はもっともっと狂うこと間違いなし!!来年2月が楽しみですね〜!https://t.co/HA3OuciJEY

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頼継は特にこの立直を繰り返していたらしく、弟に大祝を譲った後にまた「大祝頼“嗣”」の名が表れたりする
彼の名前がコロコロ変わるのもこの立直乱用が関わっていると見て間違いない
言葉巧みに揚げ足を取りルールをハックする逃げ若における頼継の強かさはこれに由来するか
 

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しかしその頼継も度々諏訪大社を抜けて戦を行いながら大祝に就き続けている
そのからくりは戦に参加する時のみ大祝を降り、戦が終わり帰還すれば再任するというもの。この裏技を「立直」と呼ぶ
穢れは「三十七勤行」と「十三所参詣」と呼ばれる神事・儀式を行い浄化
 

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【Tips】職位と立直
諏訪大社のトップであり諏訪大明神の依り代でもある「大祝」の地位
神が諏訪の地を離れることは不吉を招き、また神職が殺生を行うことは「穢れ」という最大の禁忌
その為、中先代の乱に参戦する父時継から頼継は神を継ぐ。これを「職位」と呼ぶ
 

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なんかこう見せ場という見せ場が紛い物・創作とケチを付けられているんですよね……
大祝の座も何回も引退したり戻ったりしてるし
表記揺れも激しく「頼嗣」表記はともかく「諏訪直頼」という人物と同一人物とも言われていたりで、解釈次第で話がどうとでも広がる人物です
 

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史実における頼継のその後は1340年大徳王寺城の戦い
諏訪から出るにあたって大祝の座を退き「父祖の忠節忘れ難く」北条時行と共に挙兵し貞宗を相手に籠城戦を展開
この戦に敗北した後は諏訪に戻りますが、そもそもこの戦自体史料に乏しく実際にあったか疑問視する声もある
 

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この話は『諏訪大明神絵詞』のもので、頼継が神意によって守護られたとか、足利との仲は良好とかの記述も合わせて後年に継ぎ足された創作っぽい
『絵詞』の作者の諏訪(小坂)円忠は足利方の諏訪氏で、諏訪信仰の普及と足利との結びつきをアピールするため捏造した気配がある
 

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