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このエピソードを紹介したのは当時の歴史家プロコピオスで、ゲルマン人の襲来に対するホノリウス帝の無策ぶりを強調するための作り話である可能性が高いです。
ただ、既に西ローマ帝国の宮廷はローマからラヴェンナに移っており、都市のほうの「ローマ」が省みられずに衰退していったのは事実でした🪹
たぶんこれは2013年に出版された洋書の和訳でしょう。エトルリアとか王政から東ローマ、さらには海軍までカバーしているし、ガリアもゲルマニアもブリタンニアもあって良いのですが、パルティアとダキアがあんまりで困った記憶があります。それで困る奴も21世紀にそうはいないでしょうが。