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ヴィラン「諸説あるが16世紀ルネッサンス期にフィレンツェのメディチ家の令嬢カトリーヌ妃がフランス王室のヘンリー2世に嫁いだ際同行していた料理長がビスコッティ・アマレッティの製法を宮廷へ広めたと伝えられてるんだ😃」
ヴィータ「海を渡りフランス全土へ広がり地方独自に発展してたんだね😊」
1663年、宰相コルベールのもとフランス王室芸術アカデミーはコンクールを催し、彫刻家と画家、のちに建築家を選出してローマに留学させる「ローマ賞」ができていった…そんな時代に若きシャルパンティエは画学生としてローマに行ってる。同世代のモニエやボヌメールらが受賞してた頃 #古楽の楽しみ
承前「ルイ15世が若い頃」っていうのは、フランス人がどんどん屋外にくりだして明るい世界を謳歌する頃でもあり…そろそろロココという言葉が似つかわしくなる頃。
かたや16世紀はフランス王室が文化に目覚めはじめた頃。古典主義の隠れ蓑の裏、いろいろ風狂な楽しみが…😳✨
宵どき、オタノシミニ!
承前)フランス王室の音楽愛好三姉妹のひとりアンリエット王女(1727-1752)も、愛奏楽器はヴィオルすなわちヴィオラ・ダ・ガンバでしたしね…マレが亡くなる前年生まれ。
フランスでは古典派期にもパルドゥシュ・ド・ヴィオルというヴァイオリンの音域まで弾けるガンバも流行してました #古楽の楽しみ