画質 高画質

その後も武田信玄との五度に渡る川中島の戦いなど数々の伝説を打ち立てるも、生涯不犯で後継者を立てないまま死去
2人の養子景勝と景虎の間で後継者争い御館の乱が発生し、養父の山内上杉氏の憲政が巻き込まれ死亡
憲顕の研究の果てに生まれた怪物は主家を滅ぼすに至ります

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下剋上後に内乱状態となった越後の統治は、病弱な謙信の兄(上条上杉氏との間の子)には荷が重く、庶子故に寺で修行をしていた謙信が担ぎ出される
そこで毘沙門天の化身の如き活躍の末に越後統一を果たし、関東管領の山内上杉氏から家督を譲られ主家の上杉家を名乗ることに

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家系としては長尾景忠の弟とされる景恒が越後に渡った越後長尾氏三家の一つ三条長尾氏の出身で、元の名は長尾景虎
三条長尾氏は代々守護代を務めるなど権勢を誇り、それ故に主家である上杉家とは度々対立しており、謙信の父である為景の代に下剋上を果たします

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逃げ若武将名鑑【上杉謙信】
戦国時代最強の毘沙門天の化身にして越後の龍。GACKT
生涯戦績70戦43勝2敗25引き分けという脅威の記録を持つ
一方で生涯妻を持たず子は全て養子、信仰心が強すぎて高野山に家出するなど、戦国武将としては致命的な気まぐれさを併せ持つ

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天正九年九月朔日(九月九日、十月朔日とも)
山崎秀仙、直江信綱、毛利秀広御命日

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義興が無念の死を遂げた後には義宗の活動記録すら定かではなくなり、最期もよくわかっていない
1368年に上杉憲顕の息子らに敗れて戦死したとも、生き延びて僧侶になったとも、四国で余生を過ごして1405年まで生きていたとも伝わる
人生の最後が「?」の人物となりました

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上杉さん家の八葉ちゃん16

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ファンアート年1でしか描けてないけどナナシスは続けてますわよ
天井分の石がなくて(手持ち投入済み)新BDS引けてないー


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石1000個でこうなった。上杉どうした。
三蔵ちゃんは約9年すり抜けだけで宝具5到達でありんす。
青子は最後の10連で来てくれたーやったー。

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上杉謙信(特盛)

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関東赴任後は高師冬と上杉憲顕双方が関東支配の象徴として基氏を担ぎ上げようと抗争を開始
小学生頃~青春期が観応の擾乱の渦中という情操教育的に不安になる環境で育つ
ただ、鎌倉入り前の5歳の時点で真面目な直義の猶子だったからか、養父同様田楽嫌いのクソ真面目に育った

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逃げ若武将名鑑【足利基氏】
足利尊氏の息子で義詮の同腹弟。初代鎌倉公方
直義の猶子でもあったため、性格も彼に似て真面目一辺倒だったという
関東管領の上杉憲顕と共に鎌倉府として東国の統治に務めるが、28歳の若さで急死した

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上杉四葉の下着事情

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直義を喪った後も関東直義派残党として宗義親王の下に結集して直頼は抵抗を続ける
尊氏の死後には上杉家が関東管領となり、その縁で直頼も復権
対抗勢力である小笠原家との抗争が激化していきます
この辺りで直頼と思われる人物の活動は途切れますが……

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なお北朝所属時には既に「頼“嗣”」を名乗っており、表記揺れでなければ既に父の“継”の字は捨てられている。時継は泣いていい
観応の擾乱発生時には直義方を表明しており、上杉と共に高師冬討伐に従軍
その後、上洛して打出浜の戦いの後に起きた京都での戦に参戦している

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『太平記』の義詮評は「人の意見に流されやすい」でイマイチ頼りない2代目という印象
ただ、これは義詮の立場を考えると仕方ない部分があり、鎌倉府時代は斯波や上杉と言った執事、直義失脚後に京都に上ってからは師直、師直死亡後は直義……と補佐役が次々変わっている

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逃げ若武将名鑑【斎藤利泰】
利康とも。直義の側近で官僚的役割を持った文官
御所巻の際に直義の屋敷に立て篭っており、和睦の条件として師直に上杉重能らと共に身柄を引き渡される
重能と違って暗殺は免れ、高一族の族滅後に幕政に復帰した……と思ったら直後に暗殺された

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PEZさんと絵チャしましたHAPPY!!!!!!🫶💞途中からリューナイトHAPPY🥹💜最高!!!!!!!見てくださいPEZさんの描いた上杉と南条とかぜさるちゃんの部分をHAPPY!!!!!最高

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