明治28年9月22日付『日出新聞』の記事「紀念祭早や近かし(三)」に京都・東本願寺の噴水への言及がある。この噴水は絵葉書から見て取れる通り、また記事が「大白龍の高く空に昇る」と形容するよう高さがあり、故に飛沫防止で水圧を調整されていた。紀念祭の時には盛大に行こうとの記事である。#噴水史

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日光の神山旅館が明治28年夏のタイミングで庭園の拡張や噴水の新設を行ったことを伝える記事と広告を見つけた。同7月14日・28日付『都新聞』#噴水史

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伏見稲荷の噴水、思ったよりも早く明治36年頃には噴水があった可能性が出てきた。#噴水絵葉書

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明治36年に登場した楊柳観音噴水は明治39年の戦捷紀念博覧会のときには撤去されている。#噴水史

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明治36年6月29日付『京都日出新聞』に大谷派本願寺(東本願寺)の噴水を題材とした3コマ漫画が載っていた。田舎者(もさ)と田舎から出てきたこうした旅客を案内する「もさ引き」の会話劇で、噴水を仏様のお力だとひたすらありがたがるおじさんが可笑しい。噴水にはまだ物珍しさが残っていた。#噴水史

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京都の法藏館( )から明治36年9月に出た『都名所写真帖』に四条鉄橋の写真としてイルミネーションの門が写っていた。ちなみに東本願寺の説明では「寺の北部園池中部最高の大噴水あり白水天に冲す壮観限なし」と噴水があったことに触れている。#噴水史

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明治36年4月1日開園の京都の岡崎動物園には当初から岩積みの噴水があった。同年3月30日付『日出新聞』と昭和37年8月10日付『夕刊京都』より。現在も残る噴水としては日比谷公園の鶴の噴水よりデビューが2ヶ月早い先輩である。#噴水史

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