七月二十三日記事で急に登場する物部麻呂、後の左大臣石上麻呂です。一、二の舎人(←正直この二人も誰なのかどうなったのか知りたい)とは別に個人名で明記されているのは日本書紀編纂段階で既に高位だったから?大友の最期まで従ったことは評価されていたのかもしれませんね。

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残念ながら、何か大きな流れが変わる段階ではどうしても誰かが犠牲にならないといけないのだろうというタイミングがあり、そこに陥ってしまったのが大友皇子だった気がします。大義名分など風の前の塵に同じよ…

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置始菟が名に違わぬ俊敏性(?)で吹負を助けてますね。
そして割と負けてる吹負。

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そんでこの時期私が一番報われてほしいのは大友皇子だあああああああ!!!ああもう一ヶ月もねえ!!!!!

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不破から出発した大海人軍の中に置始菟が居ますね。
うさぎさんを絵に描くようになったきっかけの人物なので思い入れがあります。
なかなか良い活躍をしてるので覚えてあげて。

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これだけ前面に出てきて活躍して(ただし戦いの最前線にいたわけではなさそう)おきながらその後も絶対に即位できない的位置づけなのが逆に高市皇子の存在感増してるなあ。
(即位してた説もしくはしようとしてた説もあるかもしれんが)

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高市皇子が全面に出てくることもあって、大友皇子と高市皇子の第二世代の戦いという構図も無きにしも非ずだと思うのですよね壬申の乱は…
(というのは個人的な思い入れでもありますが)

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戦ってるの叔父と甥のはすだがなぜか存在感を感じさせるまあまあ元凶の方(兄で父)と併せて過去絵置いておきます。

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同日同内容で病床の天智天皇から皇位を継ぐよう言われた大海人皇子が辞退して出家する記事ですが、天智紀と天武紀で微妙に記述が違います。特に天武紀は蘇我安麻呂が大海人にアドバイスしたりしてて全体的に大海人の行動に正当性を持たせてる感ありますね。
(実質は壬申の乱2023)

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