知多半島東岸
静かな海岸にある戦前の軍遺構、第2河和海軍航空隊の滑走台跡です
2枚目が割と保存状態の良い第3滑走台
複葉機の練習機の外、紫電改等のベースとなった強風も終戦までここにあって米軍に接収されたとか
軍需産業の街だった名古屋の近郊の海岸にはこういうの結構残ってますね

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海軍航空隊はアットホームな雰囲気の職場です♡
(※部隊によります)

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《笠間のこんな記事ありました 3/25~27》

主な新聞で取り上げられた笠間市の話題を紹介

【25日記事】
◆笠間の筑波海軍航空隊跡地 専門家などで作る検討委員会 地下遺構保存 県に提言:茨城新聞
【26日記事】
〈展覧会〉宇田直人鍛造展 回廊ギャラリー門4/6まで
▼その他
https://t.co/tTEaxfA08p

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日本帝国海軍航空隊
台南海軍航空隊
海軍三種軍装仕様

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NVI海軍航空隊
ドッベル・ホフマンスタールD.II
巨大な八発水上爆撃機
(もとはカマキリさんにあげようと思ったやつ。)

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オストマーク=ハンカル帝国海軍航空隊ドッベル・ローナー重飛行艇
ドッベル博士がローナー社で設計した巨人飛行艇。脅威の10発機。そう、10発!
時あたかも1918年。ローナーLでの港湾爆撃が不十分(んなもん当たり前なのだが)だったために作られた化け物(アホ。)

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《笠間のこんな記事ありました 2/25~27編》
主な新聞で取り上げられた笠間市の話題を紹介します。

【25日の記事】
◆旧筑波海軍航空隊跡に巨大道路、戦時中の遺構 笠間で掘削調査:東京新聞

▼その他
https://t.co/GmhdiDYjk8

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【海原会~弘める~】
三枝さんの物語の第4話です。✏️
とても勉強熱心だった三枝さん。
今回は同期生の方からのお話をもとにした
エピソードです。🤲🏻

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愛南町にある南レク施設「紫電改展示館」
この紫電改を駆る第343海軍航空隊を描く漫画「#紫電改343」は掲載誌の休刊により連載を終了する事態となりました。作者の須本壮一先生は完結まで描きたいと願いクラウドファンディングを始めました。当施設も須本先生を支援したく応援しております❗️ https://t.co/7sHmmETulv

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【宮城 巴】
海軍航空隊のエースパイロット。
飛行機乗りだった父を墜落事故で失ったにも関わらず、飛行機乗りの道を目指した。寡黙ではあるが激昂しやすく、上官の出雲司令と衝突することも多々ある。しかし根は仲間思いであり、教官でもあった出雲を慕っている。

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《笠間のこんな記事ありました12月15日編》

主な新聞で取り上げられた笠間市の話題をご紹介します。

◆赤穂義士姿、勇壮に 笠間稲荷神社周辺で陣太鼓鳴らしパレード:茨城新聞

◆戦争遺品継承 投稿がつなぐ、亡き父の軍服「筑波海軍航空隊記念館」に:東京新聞

▼その他
https://t.co/S6mBFB5lUn

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南洋の水鳥、二式水上戦闘機(東港海軍航空隊所属機)を描きました

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【海原会~弘める~】
三枝さんの物語の第1話です。
生まれながらの負けず嫌いで、それにまつわる兄とのエピソードもいくつか残っています。👬
中学時代は日本の歴史について広い知識を持ち、「候文(そうろうぶん)」を駆使していました。✏️

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今日のこれアニメ第三話に夜間戦闘行った瑞雲ですが恐らく第六三四海軍航空隊だと思います。昭和19年10月22日フィリピン進出して夜間攻撃行ってますからこれがモチーフだと思います。

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地球連邦海軍航空隊に入隊後20年以上。。。

数々の勲章に表彰状。。。
一年戦争ではMS10機、戦闘機20機以上を撃墜。ジャブロー防衛戦、東南アジア対ジオン軍要塞戦を生き残ったエースだ。。。

戦功章、戦功章、戦功章。。。

なのに昇進せず、未だに大佐止まりだ。。。

何故だ?

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参考資料見ながら海軍航空隊装備の練習!

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そんな状況下でも海軍航空隊は陸戦隊からの要請で性能に劣る攻撃機隊を送り続けた。唯一の救いは陸軍の飛行場を借り入れたために戦闘機隊の援護がつけられるようになったこと。しかし共呉空軍の迎撃は熾烈を極め、性能差も相まって多数の被害を出すこととなる。 https://t.co/Yxg2gDuMwm

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「ReiSen22 for Poser」作業続報。
Poser 側でセットアップが終わったので、取り急ぎ二二型用のテクスチャを製作。まあ、ベースが有るので早いです。先ずは基本塗装の第202海軍航空隊X2-171号機。機体番号は赤色の説も有り。
画像は C4D でテストレンダ。

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天共呉(共産呉願)の航空戦力について。
1934年の第一次饅衆天呉事変の際に帝政天瑞穂と共産呉願の両航空戦力は東亜史上初の大空中戦を演じた。
この頃海軍航空隊と共呉空軍はまだ複葉機が主力であったが、合衆国や英国に供与された戦闘機はいずれもどの
天瑞穂海軍機より優速であり苦戦を強られる。

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帝政天瑞穂海軍航空隊
「ラバウサー第一攻勢航空隊」
保有正規空母の半分が沈み残りを温存する思考になった天瑞穂海軍が苦肉の策で編み出した戦法。それは陸上基地を増やして空母代わりにするというもの。本基地の第一攻勢航空隊は1943年1月に最初の攻勢航空隊として作られ1948年まで孤軍奮闘し続けた

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