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ロシア内戦と話題ですが、1917年のロシア内戦後のロシア臨時政府ではこのように王冠も盾も取り外された双頭の鷲が使われました。しかしやがて双頭の鷲それ自体も貴族的とされるようになり、有名なソビエト連邦国章の制定に向けた動きが強まりました。
ケレ氏vsミリュ先生
ドゥーマ時代からバッチバチっぽいけど、臨時政府時代も某海峡の扱いをめぐって言い争いしてて欲しい
ケレ氏多分言い始めると止まらん上に内容も容赦なさそうだし、ミリュ先生は先生ですげぇ頑固そうなので周りが止めて欲しい
これに対しコルサント臨時政府は新共和国から食糧支援などを受けつつ国土のコルスカ宙域の開拓に乗り出し食料自給率の向上などを図ろうとしましたがここでひとつ問題が発生します
第二帝国首相、パウルス・ヒルデンロードが突如事故死しその代わりとして新たに代理総統が出現したのです
ヒルデンロード元帥によってコルサントは平定され、カイゼルシュラハト作戦は成功しその後の銀河協定の締結によりコルサントは独立、マス・アミダを国家元首としたコルサント臨時政府が独立した主権国家として誕生します
新共和国の監視下とはいえコルサント自体は解放され自由の道を歩み始めました
Q誰ですか?
Aテレ氏です。
Q何をした人ですか?
A臨時政府で財務大臣や外務大臣を務めたすごい人です。
Qボリシェですか?
A彼は大地主で製糖業を営む自由主義者です。
Q君主主義者ですか?
A皇帝には不満はあったようです。
Q10月後の立場は?
A白軍の支持者になりました。
wikipediaありがとう
pixivにはあげたやつをここでも
コノちゃん。自由主義側の人間だよ
臨時政府で商工大臣やったり、ケレちゃんの首都脱出を見送った後に首相代理として色々頑張ったすごい人です
そんなこんなで推しの1人になりました
すきぴっぴ
うちのナチ帝国のコルサント臨時政府の国章
「帝国時代と訣別した」という意味で旧共和国の国章を使い伝説の双頭の鷲を象形している
元ネタ国章はロシア臨時政府
1917年、二月革命後、臨時政府成立。しかし第一次大戦は続き、兵士の士気は最悪。
そこでケiレiンiスiキーに陸海軍相として白羽の矢が立ちました。
「革命で手に入れた自由も、死んだら意味がない」とこぼす兵士たちの気持ちを何とか高めようと、彼は前線に行き彼らに演説をしました…。
#歴史創作
ケiレiンiスiキーi色々
二月革命後の、強盗略奪など暴動が頻発したほぼ無政府状態のロシアで、臨時政府の運営をするのは色々大変そうだと思いました(語彙力)
#歴史創作