別展「#我、関東の将軍にならん」80-③
里見義弘の鎌倉攻撃の際、太平寺から青岳尼と本尊の聖観音菩薩像が里見氏に奪われます。この後、太平寺は北条氏康により廃寺とされ、仏殿は円覚寺に移されます。氏康には青岳尼の行動が、父の小弓公方足利義明を滅ぼした北条氏への抵抗と感じたのでしょうか。

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特別展「#我、関東の将軍にならん―#小弓公方 と戦国期の
小弓公方足利義明の娘 は、鎌倉の比丘尼(尼)五山筆頭の 住職としての高い地位を捨て、里見氏の鎌倉攻撃の際に還俗して、当主の に嫁ぎました。(錦)#千葉市立郷土博物館(続く)

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特別展「#我、関東の将軍にならん」76-④
弘治2年、#青岳尼 は鎌倉を攻撃した に連れられて安房国に行き、還俗して義弘の正室となります。かねてから青岳尼に思いを寄せていた義弘が、戦闘に乗じて彼女を奪ったとの伝説があります。
資料は、尾野様作の青岳尼のイメージイラストです。

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