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#意外に知られてないんですけど
火縄銃発射までの以下の手順は、“視線を敵前に向けながら”手探りで行う
慣れてくると一分間4~5発射撃を実現する
①銃筒から火薬と弾丸を装填
②かるか棒で押し込める
③火蓋を切って口薬を盛る
④火蓋を閉じて火縄を付ける
⑤狙いを定めて火蓋を切る
⑥引金を引く
@nobutoyo_tenkyu 『余談になるが、牢人していた宇佐美定満の孫・勝興を景勝が召し抱えようとしたが、上条政繁が「定満には子供が居なかったはずだ」と証言している
また、後に勝興の子・定佑が越後流軍学者として紀伊藩に召し抱えられる際、政繁の子・義真は「あれは親父の勘違い」と証言している
…理由は判るな?』
@nobutoyo_tenkyu 上杉謙信(病)『見逃さないぞ。車懸かり用意!』
柿崎景家「コメントしておいたぞ」
長野業政「いいねしておいたぞ」
村上義清「RTしておいたぞ」
#なお養嗣子の代で大喧嘩する模様
塚原卜伝『甘い。面頬も喉輪も無いなら突きか組討で顔や頸動脈を狙われる
腰が高すぎるし正中線を敵に見せては急所に蹴りを受けたり足を払われるぞ
顎を引き斜めに構えて脇を締めろ。相手の突きを誘って後の先を取り、小手裏や脇、揺るぎの糸の隙間を狙え』
#広告にプロが真顔で突っ込んで委員会
#意外に知られてないんですけど
三国志時代の中国には鐙が伝わっていないので、馬上一騎討ちは至難の業
三国志演義は、二〜三世紀の三国時代の話を十三〜十四世紀頃の文化通俗で描いているので、実際には存在しなかった武具が描かれている
鐙無しで重さ50kgの偃月刀なんか振り回したら、多分落馬する
@nobutoyo_tenkyu 三条夫人『この泥棒猫』
武田信繁「御義姉様‼」
柿崎景家「合戦しろよ…。」
#3年H組昼メロ先生 #あとで助走付けて殴られるいつもの展開
@yasuner1103 第四次川中島の諍い
上杉謙信『今度こそ信玄先輩にラブレター渡す渡す渡す…(ぐるぐる眼で単騎突撃)』
武田信玄「やべえ別働隊の山県と本命の源五郎(春日虎綱)帰ってきてねえ!…勘助のアホがっ!!』
上杉謙信『ミツケタ(にまあ』
武田信玄「こっち来んなああああ!!」
#なお第5次がある模様
@nobutoyo_tenkyu 川中島の諍い
『私じゃなくて源助みたいな青二才とだなんて、許せない!』
「怒ったら人質の子供二人の頭片手で掴んでバッサリ首飛ばすようなバチギレヤンデレと付き合えるか!」
『ミツケタ…(単騎突撃』
「やっべあの眼は影武者なんかじゃねえ…原大隅、どこいった大隅ィ!!』
#川中島の合体に続く
@raisoku_123 四嫌短弔『…もはや誰だか判らんな』
四嫌花働「名字までひっくり返さんでもよかったんちゃう?」
#三の逆が四になる理由はお近くのサイコロを御覧下さい
@nobutoyo_tenkyu では先代鬼美濃さんと2shotでお届け
虎胤さんも良い面構えですが戦国SLGの常というか、お迎えが早くて1563年位になるとひっそりと居なくなってしまうのが切ない
#なお太閤立志伝5なら月末病気になるたび診察して無理矢理薬飲ませると1570年くらいまで引っ張れるがそれはそれでどうなんだろう