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遊撃隊士として小出島に布陣、新政府軍を迎え撃つも負傷し民家に身を隠す。やがて残党狩りが始まると民家に罪が及ぶのを恐れ障子に辞世の句を残し自刃。
この句に胸を打たれた松代藩蟻川賢之助の返歌は昭和63年に建立された歌碑の裏に刻まれている。
ほととぎす魚野川辺の夏嵐 永久に伝へよ波騒の声
前回掲げた町野兄弟絵、たくさんの方に見て頂いたんですが!
身長差が正しくなかった💦
兄源之助は当時の平均身長からすると大柄な5尺7寸=173cmたが…
弟は更に高く兄より7cm高い6尺=180cmだったようです。
よく育ったね~
父は郡上藩江戸家老朝比奈藤兵衛
17歳にして幕府救援のために組織された凌霜隊の隊長となる。
新式銃を装備した彼らは善戦し會津戦争において籠城戦まで戦い抜くがついに降伏。
戦後は郡上藩へ送られ投獄されるも後に赦され父の実家である椋原家の婿養子となり滋賀県議会議員を務めた。44歳で病没。