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1937年に建造された樺太庁の漁業取締船「第三鈴谷丸」です。
北の海の船らしく砕氷型船首を持つ、ミニ砕氷船という感じの船ですが、船自体が小型(62トン)なため砕氷能力はそう高くはなかっただろうと思われます。
当時漁業関係の船の建造実績でよく知られていた三菱重工彦島造船所製です。
今日は「#南極の日 」ということで、東京水産大学練習船「海鷹丸(Ⅲ世)」を描きました。
宗谷に随伴したⅡ世の後継船で、今の海鷹丸の先代にあたる船です。
海鷹丸はⅡ世から代々南極洋航海を実施していて、このⅢ世もオキアミの研究や国際共同観測のため南極洋航海を行っています。
また練習船「俊鶻丸」を描きました。この船は所属を転々としていて、今回の絵は下関の水産講習所(現・水産大学校)時代の姿を描いています。
1954年にはビキニ水爆実験の影響調査に派遣され、当時未知だった汚染の実態を明らかにしたことから海洋放射能測定のパイオニアとして知られる船です。
第二次大戦中には、商船や漁船のほかいわゆる官公庁船も多くが徴用され戦没しています。
農商省水産講習所練習船「白鷹丸」は、日本初の汽船の練習船です。当時としては大変大きな船体に諸設備を備え、居住性も高い画期的な練習船でしたが、特設駆潜艇としての任務中米潜水艦に撃沈されました。
9月24日は第五海洋丸が遭難したとされる日です。当時明神礁では第五海洋丸に前後して他の船舶も調査を行なっていました。そのうちの1隻が東京水産大学練習船「神鷹丸(初代)」で、この船は0.8マイルの距離で噴火に遭遇しています。同乗の記者は爆発を「この世ならぬ壮絶な美しさ」と記しました。
ソ連の南極観測船「オビ」を描きました。第一次南極観測航海の際、氷に閉じ込められた宗谷を救出したことで有名な船です。
本船は船級的には耐氷船に分類されたようですが、宗谷を遥かに上回る砕氷能力を持ち、随伴船海鷹丸の船長はオビの救出行を「ものすごいまでの痛快な進航ぶり」と記しています。
北海道大学の練習船「おしょろ丸(II世)」を描きました。
1927年にバーケンティン型の帆船として竣工し、42年に汽船に改装されました。
このイラストは51年の船体延長工事後の様子を再現しています。主錨にストックアンカーを備えた汽船はこの頃ではもう珍しかったのではないでしょうか。
#練習船
「君の名は。」フィンランド公開版
以前描いたものなんですが、どうして描いたのか全然思い出せない……
船関係ないし、色々雑だと思うのですが、せっかくなのでアップしてみます。
#君の名は
おっくれてるぅーーーーーーーーーっ‼︎ (アップが)
……めちゃくちゃに遅刻してしまいましたが6月24日は全世界的にUFOの日だったということで、水産庁の漁業調査船「開洋丸」が1984年にUFOに遭遇した(とされる)時の様子を想像して描いてみました。
UFOも船が気になったのかもしれませんね。