//=time() ?>
橋本雅邦・狩野芳崖から山口蓬春・鏑木清方まで続く日本画、高橋由一・本多錦吉郎から萬鉄五郎を経て佐伯祐三まで至る洋画。これまで学んだ知識を総動員してひとつひとつの作品とじっくり向き合い隣同士に作品が並べられた理由を考えながら「『近代』を意味あるものとした」足跡を探りたどっていった。
先週土曜日に国立新美術館で観た『ブダペスト』展に所蔵品を多数出品していたブダペスト国立西洋美術館から優れた作品がいくつも出品されていた。例えば、ジョルジェーネ《青年の肖像》、ベラスケス《宿屋のふたりの男と少女》、ヤン・ブリューゲル(父)《堕罪の場面のある楽園の風景》などだ。
特に強く印象に残った作品が2点。《座る画家の姪》(1931)とドラン《美しいモデル》(1923)。どちらも、フォーヴィスムの画家として分類されることの多いドランが、1921年のイタリア旅行を機にアカデミックな作風に回帰した後の作品だ。
ピカソ作品のコレクションは新古典主義の作品が主体である点が珍しい。夫ギョームが集めたキュビスム作品を妻ドメニカが売却。現在キュビスム作品は2点が残るのみ。これらから窺うにギョームの作品嗜好もなかなかのものではなかったかと思うのだが、ドメニカの保守的な好みに合わなかったのだろうか。
このコレクションの形成は少々変わっている。20世紀初頭のパリで自動車修理工から身を起こした画商ポール・ギョームが収集したコレクションを、辣腕の妻ドメニカが夫の没後に売却・入替えして改編、更にフランス国家に譲渡し再婚相手の名を合わせ冠したコレクションとして同館に収蔵されたものという。