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「見ることには、つねに回想することが含まれています。岡﨑の作品を見るたびに、私たちのいる空間の階層は次々と入れ変わり、過去、未来そして現在という時間の階層もまた、のぼったりおりたりするように改められていきます。・・・」☆足掛け38年にわたり制作が続けられてきた一連の《おかちまち》。
橋本雅邦・狩野芳崖から山口蓬春・鏑木清方まで続く日本画、高橋由一・本多錦吉郎から萬鉄五郎を経て佐伯祐三まで至る洋画。これまで学んだ知識を総動員してひとつひとつの作品とじっくり向き合い隣同士に作品が並べられた理由を考えながら「『近代』を意味あるものとした」足跡を探りたどっていった。
先週土曜日に国立新美術館で観た『ブダペスト』展に所蔵品を多数出品していたブダペスト国立西洋美術館から優れた作品がいくつも出品されていた。例えば、ジョルジェーネ《青年の肖像》、ベラスケス《宿屋のふたりの男と少女》、ヤン・ブリューゲル(父)《堕罪の場面のある楽園の風景》などだ。
今年ART LABOの個人研究テーマとして『ツァイトガイスト(時代精神)』展(1982年、西ベルリン)を題材に1980年代初頭の「絵画の復権」を取り上げた私自身にとってこれは衝撃的だった。同展企画者のひとりR.ローゼンブルムの論文『ツァイトガイストの源泉についての考察』(1982年)にこうある。
日曜日午後から都内で予定があるので美術館巡りの出動は午前中に。リニューアルですっかり垢抜けた板橋区立美術館に初めて伺いました。今回はここで館蔵品展『アヴァンギャルド画家たちの東京』を拝見しました。
特に強く印象に残った作品が2点。《座る画家の姪》(1931)とドラン《美しいモデル》(1923)。どちらも、フォーヴィスムの画家として分類されることの多いドランが、1921年のイタリア旅行を機にアカデミックな作風に回帰した後の作品だ。