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今年の新刊は、かつて晴海の国際見本市で開催された「大鉄道博(1962)」をイラストで巡る内容です。電化への転換、2年後に控えた新幹線の開業。鉄道が目覚ましい発展を遂げた興味深い時代です。いろいろ調べておりますが、当時を物語る有力情報等ございましたらご協力願います。
東武線の堀切ー鐘ヶ淵間はかつて荒川放水路の改良工事に伴い線路を新しい水路に沿った形に付け替えたれたのだとか。行ってみると、なるほど荒川に沿った直線がそれを物語っている。リバティも見られて良かった。
最後に製造されたD35-9ですが、それまでに登場した60t機の影に隠れていたせいか、その写真資料は極めて希少です。同じ35t機のD35-5/D35-6は芝浦線・日の出線での使用に対し、このD35-9は豊洲石炭埠頭の入換用として導入されました。写真は鉄道番外録11より。
D60-8は1968(昭和43)年に東京都所有の機関車としては最後に製造された大型機関車でした。営業最終日まで貨物を牽き続け、晩年はワムやワキ を入換していました。DD13の後期型ともよく似ています。写真は鉄道番外録11から。
D60-7が製造されたの1962(昭和37)年は東京都港湾局専用線の全盛期でした。1975年放送の「正義のシンボル コンドールマン」第1話では、今も残る晴海橋梁と共に登場します。
日光・鬼怒川エリアを走るSL大樹に乗ってきました。東武鉄道のイベント列車でありながら車両も転車台もJRからの借受や譲受で成り立っているのですね。アテンダントのお姉さんがとても美人でした。
D35-5/D35-6は両者とも1961(昭和36)年に製造されました。東京都港湾局専用線はこの頃から取扱貨物量の最盛期を迎え、経済成長を下支えした港湾貨物で活躍しました。写真は鉄道番外録11より。
東京都港湾局専用線初の大型機関車D60-4は1959(昭和34)年に日立製作所で製造されました。設計は同時期に登場したDD13型に類似していますが、車体・エンジン出力共にDD13よりもやや大型でした。写真は鉄道番外録11より。模型化して欲しい車両の一つです。
加藤製作所によるD25-3は1958(昭和33)年に製造されました。2号機とよく似たサイドロッド式で当時のKATOロコとしては際重量級でした。近年、鉄道模型メーカーアルモデルにより製品化もされています。
D25-2は主に豊洲の入換用として1957(昭和32)年に製造されました。進駐軍による接収が解除され専用線が晴海埠頭まで延長したのもこの頃なので、それまで入換に使われていた国鉄の蒸気機関車の置換えとその後の貨物需要の増加を見越した新車導入だったと思われます。写真は鉄道番外録11より。