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プロになること、音楽で食っていくこと、有名になること、自分の好きなことをやっていくこと。
どれもが微妙に違い絶対的に違う。でもたぶんこの作品ではその全てが一つにされてる。
「しんのすけ」がどれを目指してて、何が気に入らないのかがまず理解出来なかった。
「スーパーマン リターンズ」を久しぶりに観賞。
う~んやっぱり『途中まで』は史上最高のスーパーマン映画。ちなみに息子が覚醒してからは早送りで見た。
スーパーマン映画がこの路線で続けられなかったのが非常に残念…
「高畑勲展」に行くことを検討中。
県内のコロナ感染者数の推移を見て時期を伺っている。来週末を予定してるけど、推移を見てるとたぶんここがベストな時期。
来週の一日毎の感染者数を見て、週を通して二ケタ台が維持出来ていれば行けるだろう。
少年漫画の主人公は、我こそはと力を誇示し相手を屈服させることで自らの存在価値を証明する(勿論全てがそうではないが)
私はこの構造が嫌い。まず争うことに疑問を持ち、運命に抗いながら解決策を模索する。少女主人公達のそうした姿勢、強い意志を秘めた凛とした眼差しが好きなんである。
改めて完結まで読み返すとクライマックスの流れも非常に酷似していることに気付いた。
主人公がライバルに互いに争うことの虚しさを説き、自身が消滅することを厭わずエネルギーを譲渡しようとする。
ライバルは改心し主人公に生存の権利を譲渡する。
悪役のイメージが似ていることは過去にツイートした。白髪で紫が基調で変形する羽を広げて跳ぶ。
争う理由が「自身の希薄なアイデンティティを確立するために相手のエネルギー源を奪おうとする」というのも同じ。
久しぶりに「ローゼンメイデン」を全巻読み返した。
高校の頃にアニメ一期を見て当時原作を既巻分買ったものの、アニメ版の続きは私の地方では放送されず原作は例の連載終了→移籍のゴタゴタで何となく興がそがれてしまいYJ版二巻辺りで離れ、全巻読んだのはごく最近。
今回は二度目の通し読み。
POP UP PARADE版は楽しみにしてたけど、スカートがこう…野暮ったい。
新アニメ版準拠なんだろうけど、この変な凹凸の描き方好きじゃないんですよね(原作もこんな感じではあるけど)
スカートの立体感はアルターやグリフォン版に完全に軍配があがる。髪の毛のボリューム感も
何かと素子のカリスマ性が強調されがちなSACシリーズと違って、新劇場版は素子が未熟で素子以外の男達の個性が強いのもいい。野郎共の活躍が素子のキャラクターを浮き彫りにする
ヘンリー・ジェイムズの照明理論的な描き方。これも今までの攻殻には無かったバランス
攻殻は原作は置いといて、結局今のところ押井版とその延長上の神山版以外の可能性を見出せていないのが現状だけど、私はこの「新劇場版」の続きなら見たかった。色々アレだった「ARISE」だけど、ここまで到達するのが遅すぎたというか…