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見られます。
なお、同時代に多くの騎乗弩兵の姿が見られますが、実際のところは下馬して操られるのが基本です。
ドイツやイタリアでは特に弩が好まれ、イングランドやフランスでは騎乗弓兵が好まれました。
このTonlet armourですが、ドイツのkastenbrust armorに非常に似ています。
画像は、バラバラの年代ですが、kastenbrust armorの様子。
一枚目/カッパドキアの聖ジョージとドラゴン(モーガンライブラリーMS M.421 fol. 23v 1450年)
二枚目/Sabobai and Benaiah, 1435(public domain) https://t.co/CcRGBxsYvP
@Re_113_Gnu シリングの年代記もアーメットっぽいのもありますけど、一枚目と二枚目のムルテンのものを見てると、バシネットとサレットそのほかが多数に見えますね。
また、1510年代に描かれたグランソンの戦いは、サレットが多いように見受けられますね。
アーメットはまだ主流ではなかったのかもしれません。
なお、中世戦場での投石の様子は、画像一枚目のモーガン・バイブル(マチェヨフスキ聖書)に描かれております(M638.42r/サムエル記ラバ包囲戦の場面 , 画像右端の兵士)。
ほか、画像二枚目/Liber ad honorem Augusti(132r-2)、画像三枚目/Bible of Stephen Harding(f.013v)より引用。 https://t.co/r99JnSHxWB
騎士たちにとって、華麗な装いは自分の社会的立場やカリスマを示すと同時に、実用的な側面もありました。
派手な装束は戦場で相手を威圧することに繋がりますし、強力な騎士(時代的に中核戦力は騎士やその他の騎乗兵士のみ)の存在は常に士気の低い兵士たちにとって恐怖でした。
あまり“綺麗でない”写本を見て、中世戦場が色彩から離れた時代or世界だった、と誤解されても困るので、華麗な騎士たちの絵姿も貼っておきます。
美しいブリガンダインなどの表生地にご注目下さい。
元本は
『La Quête du Saint Graal et la Mort d'Arthus, de GAUTIER MAP』(1380〜85年代成立) https://t.co/U9cRuBDnO6
例として、15世紀で最も著名な騎士だったJacques de Lalaingは、『涙の泉の通路』でトーナメントを戦ったとき、青い涙を刺繍した白いサーコートで戦いました(画像一枚目)。
同トーナメントで違う相手と戦った場面でも、同じ白いサーコートを着用しています(画像二枚目)。
この鮮やかなTurnierbuch(トーナメントブック)を製作したHans Burgkmair(ハンス・ブルクマイアー)は、皇帝マクシミリアン一世に仕えた版画の親方で、彼の依頼(Weißkunigの製作など/画像4枚目が例)に対して多くの仕事をこなしています。
版画の手法の開発も行っており、その発明も残しました。
このようなbases(つまり刺繍や染色、生地など豪華なスカート状の戦闘用服飾)を身に着けた戦士を見ることが出来ます。
また、Turnierbuch (Hans Burgkmair作) でも往時の騎士たちの華麗な甲冑と共に見ることが出来ます。