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ちなみにシャルル豪胆公の軍隊でもパイク兵の運用は行われ、スイスとの緩衝地帯ではブルゴーニュにおける"スイス式の"戦術の萌芽を見せました
例えば、公の重臣でアルザスの代官を務めたピーター・フォン・ハーゲンバッハは、南アルザスの兵を以てスイス式の歩兵戦術を採り入れた部隊を擁していました
シャルル“突進公”は向こう見ずで好戦的な君主だったと言われるが、彼の勢力拡大の背景には、幾多の外交交渉や大評議会の判断が隠れている。また、シャルルが経験した戦役の大部分は“受け身”の形であった。戦時の際は敵対勢力と最後の最後まで交渉を重ね、かなり慎重に動くのである。
1473年に公布されたサン=マキシミン勅令の写本の序文あたりに描かれた、ブルゴーニュ軍の軍団長(正確にはconducteurだが、便宜上軍団長と呼称)の就任式
軍団長は毎年初めにブルゴーニュ公自らが任命し、その任期は1年間
軍団長は就任式の際、公から指揮棒と軍令の写しが書かれた本を受け取った
@jGA4AmmMwNKWagM 特にブルゴーニュとベルンが友好関係にあったことは、後年のブルゴーニュ戦争を踏まえても運命のいたずらを感じさせます
そう、こいつ(チロル伯ジギスムント)の従兄譲りの優柔不断ささえ無ければ…
ブルゴーニュ史を色々見てたらシャルル(右)よりもフィリップ(左)の方がやばい奴やんとなる(狡猾な絶倫親父でキレたら何するか分からんヤベー奴、晩年は領土問題爆抱えで息子シャルルに丸投げして死去)