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ブルゴーニュ公シャルルはシャロレー伯時代のモンレリの戦い(1465)で敵兵に喉を斬られるというエグイ重傷を負っているのだが、そのまま戦い続けて戦闘後には瀕死の兵士に「お前大丈夫か?」って治療薬飲ませる余裕ムーヴをかましていて軽く人間やめてる感がある
「中世の騎士同士の戦いは身代金目的で命はとらないスポーツのようなもの」とはよく言われるものの、「騎士道精神の最たるもの」とされる30人の決闘でさえ、戦死者15人それ以外は皆重傷という大惨事なので、彼らがやってるのは「スポーツ感覚の殺し合い」の方が近いのかもしれません
15世紀頃には投石機に代わり、陣地構築と共に遮蔽物が取り付けられた砲が用いられるようになります
カスティヨンの戦い(1453)では野戦陣地の構築、大砲と騎兵を合わせた用兵により、イングランド軍に勝利しました
この頃には砲を扱う砲兵達への注目も高まり、"砲兵隊"としての組織化が進みました→
スイスのパイク兵(左)とブルゴーニュのパイク兵(右)
防具に大差はないが、ブルゴーニュのパイク兵は軍令により左腕に盾をつけていた
これは恐らく、パイクを構えた際に剥き出しとなる左腕を守るためだろう
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ジル・ダルジャンタン
ノルマンディー出身の騎士
バノックバーンの戦い(1314)ではイングランド軍が総崩れとなる中、ペンブルック伯と共に国王エドワード2世を安全な場所まで護送し、自らは「我に逃げる意図あらず」として踵を返し、追手のスコットランド勢に突撃、国王の身代わりとなり戦死した