Amicitia sal vitae.さんのプロフィール画像

Amicitia sal vitae.さんのイラストまとめ


2011年に登録してたことを忘れて、最近(2019年)Twitter始めました。ヨーロッパの歴史に興味あります。※名馬補足:本馬は、名種牡馬ヘロド(8度英首位種牡馬)の息子。14戦14勝(12戦12勝説あり)の成績を残し、引退後も大種牡馬として不滅の記録(12年連続英首位種牡馬、英首位種牡馬獲得は計13回)に輝いた。

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この絵画の戦い(Lekkerbeetje)を見てると、胸甲騎兵の射撃も結構当たるのだなぁと再確認(この戦いは大規模な“決闘”だけど)。

片方の指揮官も緒戦において射撃であっという間に死んでるし、この頃、短銃はやはり対騎兵では恐ろしい武器ですね。

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そこは否定しません。

確かに、中世も後期になると、馬は少しづつ大きくなっていたと思います。

しかし、初期や盛期では、よく言われるような『巨馬』は機敏に乗り降りする必要性からもかなり珍しかったと思われます。

時代は少し前後してますが、これらはかなり足が下に来ていますね。

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そう言えば、シャルル8世とかのアルシェ、騎乗弓兵のように思ったけど、下馬せず馬上で運用したのかな?

確かに、ドイツ等にマウントクロスボウマンは確実にいました。

1枚目:The Medieval Housebook of Wolfegg Castleより
2枚目:ドルナッハの戦い(1499年)の木版画
3枚目:Thuróczy Chronicleより https://t.co/dcoOOBNxcF

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恐縮です。

他の場面だと、この人物もそうですね。

結局、槍の使い方はケースバイケースだったのでしょうね。

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かな、と理解したのだが、資料画像調べるとユシュマンかなー、と思う画像がボフティリィエットと書いてあったり、ボフティリィエットかな、と思う画像がカランタラであったりで混乱。

そもそも、良くネットにある画像みたいなラメラーアーマーとかスケイルアーマーは中世ロシア人は何と呼んでたんだ?

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上記の画像を見て貰うと、案外この一枚目・二枚目のイラストは間違っていない。

ところで、三枚目のように馬が鎖帷子を身に付けているかだが、先のツイートの画像を考えるに、当時の装備として「ジョストやメレーで」馬用の鎖帷子がメジャーであったわけではないのだろう、と思われる。

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一枚目 タクエボスタンのレリーフ。

二枚目 メトロポリタン博物館収蔵の皿

三枚目 アゼルバイジャン博物館収蔵の皿

ササン朝の、ペルシアの重騎兵って画像のような史料が残ってるけど、四枚目の画像のイラストって以外と再現度が高いね。

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ところで、アステカの武装は、世界一ぶっ飛んでると思うんだよね。

見よ!この迸る色彩!飾り!独特のフォルム!豹の戦士と鷲の戦士たち!

個人的には、ここからの進化系がみたかった・・・そういう意味でも、スペイン/コンキスタドールの罪は重い。

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