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何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと
勘違いをしている方がたくさんいる。
絵にしても小説にしても遊びにしても 大切なのは突き動かす衝動であり、
その衝動を誰かに伝えたい、役立てたいという欲求があること。
目にはみえないが大切な情報を伝えるために対象をデフォルメする。
解剖学的に人間の構造として、実際にはありえないポーズ、ありえない骨格。
でもそんな現実にとらわれない創造的なバランスと伝えたい思いの強さが
手描きの絵には込められる。
都会から出たことがなかった画家アンリ・ルソー。
異国のジャングルや森の中を描いていることからナポレオン4世のアフリカ遠征に同行したなどうわさされていたが、
実際は近所の植物園でのスケッチと動物写真集と知人の話を参考に描いていた。
バルビゾン派と呼ばれる画家たちは
ただのほほんと田舎暮らしを楽しみたい人たちではない。
都会の下らない権威や醜い争いから離れ、
人間本来の生き方を正しく見直そうとした賢者たち。
モチーフをただ写し描くことが写実絵画ではない。
光の入り方、その時間帯、季節などモチーフを取り巻く世界を
どれだけ広くイメージできるかが重要。
その視野の広さでリアリティが違ってくる。
社会から芸術を取り除くということは
高層ビルの階段や非常口、ロビー、窓を取り除くことと一緒。
ビルはあっても中にいる人がうまく機能しなくなる。
学校から芸術の時間がなくなると創造性と集中力が低下して
結果的に他の教科の学力が落ちる。
デッサンは、表面的な技巧を見せれば良いというものではなく、
どう工夫したら、思いが効果的に伝わるかを意識することが重要。
デッサンは、図形、設計図といった意味をもつ。
デッサンを視覚情報として学ぶと上達も早いし、日常や仕事に役立つ。
画家ルソーの絵は本当に体感してきたようなリアルさがあるが
ジャングルの絵も動物の写真集と近くの植物園でのスケッチと
実際に旅行してきた知人の体験談を聞いて描いていた。
絵は情報のブレンド、個性は環境と選択してきた情報の蓄積で創られる。
何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいる。
絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、
その衝動を誰かに伝えたいという欲求があること。
実際に世の中が輝いてみえている。
色や影の違いが4、5段階しか意識しなかったのが絵を描くなどして観察眼を鍛えていくと10段階以上みえるようになってくる。
色の微妙な見分けも同じで画家が綺麗な風景を絵に描くのは技法によるものだけでない。