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『風の谷のナウシカ』の「腐海」という名称は、クリミア半島にある「シュワージュ(腐った海)」が由来です。
宮崎駿監督は、この腐海のことを本で知識を得ていて、森の絵を描いたあとに腐海と名付けました。
宮崎駿「今だったら腐海の映像作るんでも、もう少し具体的にできるって思いましたけど。ただ残念なことにそのときの美術の力量とかも含めてね、そう簡単には突破できる壁じゃなかったから。うやむやにしてるなっていう思いが自分のなかにあって、それは寝覚めが悪いですよ」
宮崎駿「水平線はまっすぐだっていうふうに思わなくていい。自分たちの生きているところにまっすぐなものはないから。特に島には、まっすぐな道路もなければ、家を見るとみんな歪んでるんですよ。だからまっすぐを定規で描かなきゃいけないみたいなことはこの世界では初めから捨ててよろしい」
『コクリコ坂から』は、1980年代に宮崎駿監督の別荘で姪っ子が読んだ漫画雑誌『なかよし』が置いてあるのを見つけて、それを読んだことが切欠で映画化が検討されました。当時は時代と合わず頓挫しています。映画化が可能か議論したメンバーには、押井守監督や庵野秀明監督らがいました。
宮崎駿監督は『風の谷のナウシカ』の前に、『戦国魔城』という作品も企画しています。
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