羽馬千恵 | 新刊「心の傷と、ともに生きていく:複雑性PTSDを乗り越えるために私がしてきたこと」さんのプロフィール画像

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新刊『心の傷と、ともに生きていく:複雑性PTSDを乗り越えるために私がしてきたこと』🍀著書に『わたし、虐待サバイバー』商業出版📚虐待の後遺症を啓発(複雑性PTSD、愛着障害、解離性同一性障害、双極性障害、睡眠障害)☯TwitterのDMは受け付けていません🐋取材・講演は、[email protected]まで
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私も20歳で精神科の閉鎖病棟へ入れられました。でも、主治医に人間扱いされず酷い目に遭い、それ以降、まともな精神科にかかれず30代半ばまで入院しても治療はなされず。むしろ多数の二次被害に遭ってきました。酷い実態があることはよく解ります

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私は成人後15年間
精神科医に虐待の被害者だと理解されない被害に
遭い続けた
施設保護されている子ども達は治療者が丁寧に
支援する中
私は「もう大人です!」と怒鳴られ泣かされる日々
私の中の子ども人格がSOSを出しても
届かなかった
施設限定の支援は二次被害を助長する
※画像はクリック参照

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2024-12-30

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私を虐待した母は子ども時代
DV家庭で育った
「父が憎い!愛されなかった」 母の口癖だった
母の父は若い頃、私の祖母に酷いDVを繰り返していた
時には祖母の髪の毛を皮ごと引きちぎり
祖母は「ギャー!」と悲鳴を上げて顔が血まみれだった
そうだ
そんな家庭で育った母は虐待を連鎖させてしまった

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私を虐待した義父は40代の若さで亡くなった
義父はアルコール依存症だった
お酒を飲んだときに母にDVをし
私も虐待した
アルコール依存症が病気という理解のまだなかった25年前
誰も〈治療〉という発想はもてない時代だった
虐待問題は貧困やアルコール依存症など
あらゆる社会問題と関わっている

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幼少期は可愛がってくれた母
しかし生活に困窮し余裕がなくなった母は
次第に私を言葉でも虐待するようになった
「気に入らないなら施設へ行け!!お前なんか産むんじゃなかった!!」
毎日のように暴言を吐かれ泣かされた
(画像はクリックにて)
施設へ行きたくても12歳の私には方法が分からなかった

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小学校時代の義父には
毎日、食事中にマナーが悪いと殴られ
泣きながらご飯を食べる日常だった
食事中の虐待って多いように聞こえてきます
私は小学校時代はきちんと食事を食べても
精神的に辛くて栄養として身体に取り込まれなかったのか
ガリガリでした

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昭和58年に生まれた私は
0歳で両親が離婚し母子家庭であっても
祖父母や親戚、近所の大人たちに5歳まで
愛情たっぷりに育てられました
虐待が始まったのは5歳以降の母の再婚から

刹那でもいい
子ども時代に大人たちに愛情たっぷり育ててもらうことは
回復しやすいのです
子どもは愛情が必須です

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虐待サバイバーは出口の見えないトンネルを
一人で不安で不安で仕方ない中
歩まねばならないのです
トンネルの先には明るい未来が待っていることも
伝えていきたいです
私も以下の絵のような時代が長くありました

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