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@__Sun_Flowers__ 私も20歳で精神科の閉鎖病棟へ入れられました。でも、主治医に人間扱いされず酷い目に遭い、それ以降、まともな精神科にかかれず30代半ばまで入院しても治療はなされず。むしろ多数の二次被害に遭ってきました。酷い実態があることはよく解ります
私は成人後15年間
精神科医に虐待の被害者だと理解されない被害に
遭い続けた
施設保護されている子ども達は治療者が丁寧に
支援する中
私は「もう大人です!」と怒鳴られ泣かされる日々
私の中の子ども人格がSOSを出しても
届かなかった
施設限定の支援は二次被害を助長する
※画像はクリック参照
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私を虐待した母は子ども時代
DV家庭で育った
「父が憎い!愛されなかった」 母の口癖だった
母の父は若い頃、私の祖母に酷いDVを繰り返していた
時には祖母の髪の毛を皮ごと引きちぎり
祖母は「ギャー!」と悲鳴を上げて顔が血まみれだった
そうだ
そんな家庭で育った母は虐待を連鎖させてしまった
私を虐待した義父は40代の若さで亡くなった
義父はアルコール依存症だった
お酒を飲んだときに母にDVをし
私も虐待した
アルコール依存症が病気という理解のまだなかった25年前
誰も〈治療〉という発想はもてない時代だった
虐待問題は貧困やアルコール依存症など
あらゆる社会問題と関わっている
幼少期は可愛がってくれた母
しかし生活に困窮し余裕がなくなった母は
次第に私を言葉でも虐待するようになった
「気に入らないなら施設へ行け!!お前なんか産むんじゃなかった!!」
毎日のように暴言を吐かれ泣かされた
(画像はクリックにて)
施設へ行きたくても12歳の私には方法が分からなかった
小学校時代の義父には
毎日、食事中にマナーが悪いと殴られ
泣きながらご飯を食べる日常だった
食事中の虐待って多いように聞こえてきます
私は小学校時代はきちんと食事を食べても
精神的に辛くて栄養として身体に取り込まれなかったのか
ガリガリでした
昭和58年に生まれた私は
0歳で両親が離婚し母子家庭であっても
祖父母や親戚、近所の大人たちに5歳まで
愛情たっぷりに育てられました
虐待が始まったのは5歳以降の母の再婚から
刹那でもいい
子ども時代に大人たちに愛情たっぷり育ててもらうことは
回復しやすいのです
子どもは愛情が必須です
虐待サバイバーは出口の見えないトンネルを
一人で不安で不安で仕方ない中
歩まねばならないのです
トンネルの先には明るい未来が待っていることも
伝えていきたいです
私も以下の絵のような時代が長くありました