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いつでも味方でいるということは「私はどんな状況でもあなたこそ正しいと信じます」という態度ではなくて「あなたがたとえ間違ったことをしようとも、あなたが悪意でそれを行ったのではないと信じます」。 いつも誰か(自分含む)の味方でいることと、間違いを認めることは両立できる。
きっとどんな場所でもきれいなもの、素敵なものは見つけられる。道端に咲いてる花、空の色、向かいを歩いている人のスカーフの色が素敵だとか、誰かのさりげない言葉や、スマホの画面の中にも。そういう小さい喜びを飛び石みたいにつかって、しんどかったり忙しかったりの毎日もどーにか歩いていくよ
「人を嫌いになるのは悪いこと」だと思っていると、誰かに嫌な感情を抱いたとき「その人を嫌いになる正当な理由」を探そうと必要以上にその人の粗を探したり、自分の正しさにこだわってしまったりする。 「嫌いな人がいるのは普通だし、理由なく聖人を嫌ってもいい」って考えの方が気が楽だし平和。。
お花見も自粛の雰囲気かなー、春はお出かけが楽しい季節なのになあ。 ごほうびを奪われるようなことが続くと気が滅入ってきちゃうけど、なんとか工夫して、毎日を楽しむことを諦めずに過ごしたいものですね🌸
私はずーっと「無理をしてがんばる」ことがデフォルトになっていて「無理せずやる」という言葉が意味不明だったんだけど、最近は少し学んだ。 めんどいとき・しんどいときはなるべくやらないこと。「絶対やらない」じゃない。なるべく、というフンワリ感が大事。ゼロ百にせず余白を残す。余白大事。
どんなに手厚い助けがあっても、立ち上がって羽ばたくのは本人の力なのですよね そしてどんなに沢山本を読んでも、日常を変えるのは私のちから。がんばるぞ(ほどほどに)
時々不安になると、友情や愛情を試したり確認したりしたくなることもあるけど、心の確認なんてできないし、できたとしてもいいことはないね。 私はあなたが好きで、一緒にいることが楽しい。だからあなたが一緒にいてくれてうれしい。私にわかることはそれだけ。
「悪気があるかはともかく、傷ついたから謝ってほしい」「こっちは悪気がないんだから、責められるとつらい」という平行線になった喧嘩には、どちらかが折れるより、こういうコミュニケーションをとるのがいいのでは?という漫画です。 #エッセイ漫画 詳細はブログにて→ https://t.co/o6GJekHQx0
愛って何だろーなんてベタなこと時々考えるけど、今のところ「見返りを求めない『好き』」なんだって所に落ち着いてる。だからモノや動物への愛って意外とピュアというか間違いにくいんだけど、人間同士は難しいんだなって。 人間はお互いに期待する/させるものだし、それもそれで素敵なことだしね。
病気って決してうれしい出来事ではないけど、自由が一時的にでも奪われてしまうことで、自分にとって本当に大事なもの、好きなことがよく分かる。じっと寝ながら私が思ってたことは、早く子どもと元気に遊びたいということと、早く絵が描きたいということでした。健康は最高。。