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【6】
合併でできた弟はなんや経費をバクバク食う子でした。
肝心の信貴山下-生駒間の工事も膠着してしまいますが、そこで「救世主」として現れたのは……
【5】
鉄道誘致に消極的だった理由がいかにも奈良(?)の平群近辺。
そして生駒電気鉄道→枚方線(当時未開業、現在の京阪交野線)とここで兄弟に。
しかし、旧生駒電気鉄道側の役員は信貴電では取締役どまりで、専務の椅子は与えられませんでした。
【4】
お祭りといえば模擬店、花火、音楽隊……そして陰謀!!
やまてつの名張切り策その後の経過については『日帰り伊勢物語』参照。
……当時の関西線の干されっぷりがただただ悲しい。 https://t.co/GQKFWBWNr0
【3】
トラブルは続くもの。
それでも開業後は賑わい……😌✨
開業時は平坦線よりも鋼索線(ケーブル、現在は廃線)区間のほうが長いという珍しい会社でした。
【2】
信貴登山線は大和鉄道(近鉄田原本線のベースとなった会社)ほか多数が申請していましたが最終的に免許を手にしたのは新会社でした。
そして例に漏れず雨で苦労する。
今の生駒線は複線分の用地がある区間が多く、前面展望でもそれがよくわかります。