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BOX THING 1
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久々に深石スゥの新作を描きました。支援者限定です。
なんとか不快指数の高まる季節までに16本そろえて電子書籍にしたいと思ってます。
『深石スゥ100ぱーせんと!』 009 : 後楽びより|桝田道也|pixivFANBOX https://t.co/sHFbwbDiIz
次。村上城下を「蜘蛛網形」と言いはって放射型街路に入れた件。
これのどこが蜘蛛網形で放射型の街路をしているのかと。
東北大学で教鞭をとっていたのなら、村上市や盛岡市に取材に行くの、そんなに難しくないでしょう?
ねえ?ねえったら!
周囲は西洋流の築城術をかじった軍人さんがごろごろ。だから城郭研究を再開してみると、理想的方格設計都市が日本に無いのはなぜであるか?というプレッシャーがあったのでは。実は西洋だって中世都市は碁盤目じゃないのが多数派だけど、洋書には理想的なやつばかり載ってるし。
単純化して考えます。攻め手の武将になったつもりで、町の端から町の中を見透かそうとしてみましょう。4x4グリッドの五の字だと、筋と通りのうち一本しか見透かせません。しかし、建物の数を変えず長き町にすると、見透かせる範囲は 2.5 倍に増えました。
1645年頃の松阪と1752年頃の松阪。100 年の間に異常なほどの隅違いが生じています。
ちな氏郷が松阪を町割したのは1588~1589年
「正保地図の伊勢松坂はさほど道が悪くない」という事実には、もっと反応が欲しかったなァ。
「嘘だッ!伊勢の松坂いつ来て見てもひだの取様でマチ悪し…の松坂が!そんな!町割下手じゃない蒲生氏郷なんて氏郷様じゃない!」
と、私なんかそう思ったんですが。
ラスト、八代城。比率だけなら小倉や仙台を上回り、調査した42城下町の中で、もっとも十字路の比率が高くなった。ただし外郭虎口(東)から大手門(南)まで目抜き通りの順路通りに進むと8回屈曲させられる。
近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (11)
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徳島城。道の方向はエリアごとに変わっているが、そのエリア内での直交は固持されていて十字路は多い。そして門の前の謎の池。見透や射線を遮断するわけではないが、ともかく直進は妨げてる。おもしろい。
#近世大名は城下を迷路化なんてしなかった (10)
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