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「女性の理性」があるなら「男性の理性」もあることになるけど自分は怪しむ。
記者から「あなたにとって強さとは?」と聞かれた松尾象山は「強さは誰にとっても同じ」と返したけど、理性も(理性こそ)誰にとっても同じもののはず。
女性の理性と男の理性を包括したものこそが真の理性。 https://t.co/VSYtkrehkF
佐為が消えるシーンと幸江が記憶を取り戻すシーンって似てる。
浄化されるにはこういう完全にストレスフリーな状態じゃないとダメなんだと思う。
現実のストレスがあるとそっちにリソース割いちゃうから。
(斉藤和義の素敵な匂いの世界も完全ストレスフリー感がある)
論理的回路を経由すれば侮辱じゃないとわかることでも、感情的回路で処理すると逆に侮辱の表現として理解されてしまう。
「ようするに」と論理をショトカした感情系処理をされて侮辱してるんだろ!と思われることは多分誰でも経験がある。
(逆に相手の論理を感情系処理してるということでもあるが)
これ要するに「量子化で切り捨てられたものはまだどこかに残ってるのか?」という問題として自分は考えてる。
「言語」という量子化で「知覚(クオリア)」が切り捨てられる。
でもその私のクオリアを作ってる(とされる)脳の電気信号も量子化を反復して情報を切り捨ててる。 https://t.co/K5DaaMQcRi
これ要するに「量子化で切り捨てられたものはどこかに残ってるのか?」という問題として自分は考えてる。
「言語」という量子化で「知覚(クオリア)」が切り捨てられる。
でもその私のクオリアを作ってる(とされる)脳の電気信号も量子化を反復して情報を切り捨ててる。 https://t.co/LLGPpoMngP
論者気取りの人に議論ふっかけるときは、相手からクラークしぐさ的なマウントを引き出すことで「他のことでマウント取るだけなら出来るだろう?やるがよい。その瞬間お前は論者の誇りも本能も失うのだ」をやろうとするけど、そういう人はそもそも論者にさして誇りも本能も持ってないので効果が薄い。
論者気取りの人に議論ふっかけるときは、相手からクラークしぐさ的なマウントを引き出すことで「他のことでマウント取るだけなら出来るだろう?やるがよい。その瞬間お前は論者の誇りも本能も失うのだ」をやろうとするけど、そういう人はそもそも論者にさして誇りも本能もないので効果が薄い。
北斗の拳は痛みが原因で動けなくなるとか技を回避しようとするということが殆ど無いけど、男塾の場合はもっとそれが進行して急所さえ外せば問題なく動ける世界観でやってる。
セルの核みたいに急所さえ回避すれば死なない。
急所を外せばOKな男塾の世界 https://t.co/JlXiwtHG8l @YouTubeより https://t.co/Pyc3AUo0Uw