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北斗の拳は痛みが原因で動けなくなるとか技を回避しようとするということが殆ど無いけど、男塾の場合はもっとそれが進行して急所さえ外せば問題なく動ける世界観でやってる。
セルの核みたいに急所さえ回避すれば死なない。
急所を外せばOKな男塾の世界 https://t.co/JlXiwtHG8l @YouTubeより https://t.co/Pyc3AUo0Uw
ラオウのこのノリで痛みで泣く少年漫画の男キャラいたらおもろい。
「い...痛い 痛いのだ!!」スー… https://t.co/2OkYZJevTc
「言語ゲーム」という概念を習得するとどんな哲学的問題もなあんだ、言語ゲームかあ、と納得してしまいそうになる。 https://t.co/rDuTBoI4Eu
岩明均の作品のデザインは「工学的・生物学的になるべくしてなった形状」を感じるけど、そういう自然科学的リアリティの更に根っこに形而上学的リアリティがちゃんとある。
形而上学的リアリティは「理の導くところにしたがうとなるべくしてなる世界像」が支えてる。 https://t.co/evNa6QNi6b
@tabetetabete この辺の感覚はやっぱり個人差が相当あると思います。
(だから最初に「個人的に」とつけた)
自分は『七夕の国』の宇宙人デザインにはあざとさ感じないんですけど、これも人によっては当然あざとさ感じるとは思います。
たとえば寄生獣とかも。
寄生獣の面白さのかなりの部分は顔表現にあると思うけど、アニメ版だとそれがゴッソリ抜け落ちてる。
アニメ版はアニメ作品としては全然悪い作品じゃないし優秀なアニメーターの人が作ってたと思うから、やっぱりこれはメディアとしての特徴だと思う。
これ「フローズン」という映画。
同じ置き去り系映画に「フォール」があるけど、自分の中ではフォールよりフローズンの方が断然アホっぽくてその分リアリティがあって名作という評価に今はなってる。
(クソ映画扱いして申し訳ない) https://t.co/GSHuoU0aof
ゴート札にまつわる物語を経た結果、単に偽物の金に過ぎなかったゴート札が「一流の偽物」に昇格した。
〈一流〉の基準は外的は本物/偽物の区別に依ってではなく自分の内的な物語に依る。
『ザ・モモタロウ』の筋肉の描き方は鳥山明の筋肉表現にかなり影響を与えてると思う。
鳥山先生がまだもっさり筋肉描いてたとき既ににわの先生は2枚目みたいなカッコいい筋肉描いてた。 https://t.co/YaBsDFLz01
「ゲームを降りる」という観点から岩明均作品を読むと面白い。
『雪の峠』から『ヘウレーカ』で
武力ゲーム→知略ゲーム→戦の外に出るゲームに移行して、その次に『ヒストリエ』1巻冒頭の科学や哲学ゲームに移る。
https://t.co/u8OlAUVD5E