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遅れました、が 昨日3/20は旧暦で上杉景勝の命日でした 今年は定勝が子供たちを伴って清野と景勝を偲ぶ様子の絵ですが、 清野が生きてる時点で定勝の子供が何人いたのか知らずに描く 子供たちにとっては、この少し前に謙信の命日なので 今日は大ジジ→謙信のか、ジジ→景勝のかよくわかってませんw
本日、旧暦で景勝さんの誕生祭 心ん中では目いっぱいお祝いします
本日9/15 旧暦で関ヶ原の戦いの日でもあり 上杉定勝が大人になって前髪を執ったおめでたい日でもある (先日覚えた) ところで前髪をとるってやはりこの部分をさくっと刃物で剃ってしまうのか
ちょっと夏らしい昔の好きな絵 景勝がまだ米沢にいた頃の子供定勝とノーストレスで寝てる
2ヶ月遅れ…で伝景勝所用の 鉄黒漆塗紺糸威異製最上胴具足の講義レポ 実はこの鎧、景勝のものであると同時に景勝の孫である綱勝のものであるとも書き残されている 綱勝が節目の日あたりに着用して披露することがあったのかと想像して描きました 景勝と会ったことない孫が鎧で繋がっていたという話
もうすぐ景勝の旧歴命日です なにか描きたいところだけど…うーん 命日関連ネタなので 毎回枕元の絵にしかならないところが悩ましい
遅刻したけど11/27は旧暦で景勝さんの誕生日でした 謙信コレクション?から「浅葱綾地竹雀紋縫胴服」を景勝さんに着せて本物の竹と雀たちと一緒にお祝い ちゅんちゅん 家紋をモチーフにしたデザインは好きだけど、この胴服は竹と雀がポイントで配置され、全身で描きたくても目立たないのが悩ましい
上杉景勝が米沢城代の広居善右衛門に、庭のりんごなど果物の収穫について細かくこだわって指示している書状がおもしろい だからもし収穫の時期に景勝が米沢にいたら、果物が気になって広居を見かけるたびに尋ねていたのかなと想像できます りんごのために話を中断された兼続もおまけに描いた
この着物ですね〜 今年度修復されるようです >RT
今日3.20は旧暦で景勝の命日 上杉家御年譜には、清野長範が晩年の景勝を看病したことがわかる書状が載っているが、景勝逝去時を知らせる使者となったのが清野の兄弟の平田尾張守であったとも書かれている 兄弟で景勝の枕元を独占していたのかもなんて思い、その様子を描いてみました^ ^