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『ポニョ』の魚→人への変化と、ミーティの人→なれ果てへの変化を考える。
キャラクターの生成過程?
それに順行するか遡行するかの違いだろうか
ただ、ポニョは宗助との愛が成就しなくても「水の泡になる」だけだったのに、なぜミーティは不死性を獲得するのか
どちらも愛ゆえの変化ということに留意
ラストの波乗りシーンにて、主人公たちは波の表面をまるで映画のフィルムのようなボードに乗って滑ってゆく。
束の間に死者と生者が水面で手をつないだその一瞬のように、死者の声は時間の表面を滑りゆき、痕跡として主人公へと届くところで物語は終わる。
今期の超電磁砲は、ペデストリアンデッキで階層都市のように分断された立川の未来的なものと過去的なものを繋ぎ合わせているのかもしれない。
レイヤーで隔てられた景観を奥からこちらへ突き抜けてゆくレールガンのように。
『崖の上のポニョ』では都市が沈むことにより生命が満ち溢れ、デボン紀のような板皮魚類が跋扈し、生命における「始原への回帰」が描かれる。
これは『天気の子』にも言え、縄文時代に海岸段丘だった田端が再び波打ち際となる。
文明が滅びれば生命/人類の「始原への回帰」が起こるという。
『この世界の片隅に』素晴らしい映画だった。
徹底したアニメ的リアリティによる登場人物の肉感は凄まじく、であるからこそラストは衝撃的だった。
言葉では言い表せない途方もない感動。
平成アニメのトップクラスの作品であることは間違いない。
#この世界の片隅に