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リアルとヴァーチャルが区分けできない…
そんな声大きく、策講じて「この物語はフィクション」というテロップ等、表示されるは存知の通り。
だが、あくまで「物語はフィクション」なだけであり、生き様や決断力など、置き換えると参考にできる場面もある。
これはドラマもアニメも同じだ…
水戸は江戸時代初期、家康公11男水戸頼房公が入部したが、厳密には5男武田信吉殿の入部が先。
世襲ないまま鬼籍入りされたため、水戸家は頼房公が初代なのは間違いないが、家臣は信吉殿から仕えている人々も多かった。
天狗党の重要人物武田耕雲斎殿も、甲斐武田家の末裔と聞く…
勝者いれば、敗者もいる…
だが、どんなことに対しても、勝者と敗者を分けねばならないのか…
五輪組織委員会、新会長の離党について、野党側を勝者とし、所属政党を敗者とする記事目立つが、そこも勝者と敗者、分けねばならないのか…
勝敗すらなかろうに…
「青天を衝け」での家康公が話題になっている。
現代に合わせた台詞はかつて、「葵徳川三代」においても、水戸光圀公を演じられた中村梅雀氏も使われていた。
慶喜公は、家康公の再来ともいわれた、最後の将軍。
渋沢栄一翁のみならず、慶喜公をどう見られていたか…
これを知るには一興。
何事も、経験を積めば早く対応できる。
自身に置き換えて考えれば、共感できるはず…
あれはあれ、これはこれ、といった具合に、切り分けて考えるのも選択肢のひとつとは思うが、他人事で片づけてしまう感、なきにしもあらず…
ここはひとつ、自身に置き換えて考えてはどうだろう…
なるほど…
ここ数日の話題、触れずにいたが、やはりフェイクだったとする記事も出てきたらしいな…
切り取りばかり好むと、しっぺ返しは必ずあるということか…
発言者によって印象変わるのは確かだが、「あの人の言い草で立場変えよう」というのも、手放しで賛同はできない…
行き着くところ、内容にウエイト置くべき、との考えからだ…
小学校で、忘れ物した児童を長時間立たせたとして、問題になったらしい…
老若男女問わず、忘れ物は常時ある。
だが、「立たせたこと」についての意味付けを、急ぎ過ぎてやしないかとも思う…
その意味は、すぐ出るものでもない…
何年か経って、やっとわかる場合もある。
無駄かどうかも含めてな…