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ベトナム戦争映画は数あれど、珍しく市街戦を描いた名作に、キューブリックの『フルメタル・ジャケット』がある。当時幼く純真だった僕は″微笑みデブ″が過酷な訓練を乗り越え、結果的にヒーローになる物語だと途中までは思っていた。
しかし後半はむにゃむにゃである。
ラストシーンは呼吸をも忘れる。
ニコラス・ケイジ主演の『リービング・ラスベガス』ほどの退廃的な映画は滅多にあるもんじゃない。
自殺する根性もない男が、飲酒という手段で曖昧な死を求める。
しかし、駄目な男には不思議と天使が舞い降りたりするもので、死ぬことが孤独ではなくなる。
街の明かりは花火のように真を照らす。
デヴィッド・リーン監督の『戦場にかける橋』は、男汁満開の映画である。プライドの駆け引きに、背負うものの大きさを感じる。
捕虜になっても将校としての役割上、アレック・ギネスは一歩も引くことが出来ない。早川雪州も根負け。両者友情らしきものさえ生まれる。
クワイ河のマーチは口笛でどうぞ。
フリードキンの『エクソシスト』は、科学とオカルトとの闘いを描いている。過剰な演出(首が360度回転するとか)が無ければ十分医学的に説明がつく。
要は憑き物落としである。悪魔か狐か、キリスト教か神道かで方便は変わるが、「異常」に言い訳を与える行為が憑き物落としなのだと、僕は理解している。
アラン・パーカーの『ミッドナイト・エクスプレス』は、映画を観る限りは悪夢だ。
今なら人権協定で母国に送還されるが、当時は政治的にタイミングが悪く、トルコ政府は彼を見せしめにした。とここまでは事実として、後はもうフィクション。馬鹿映画だと思ったら、脚本はオリバー・ストーンだった(笑)
テリー・ギリアムは『バロン』で山師に完全に騙された。『未来世紀ブラジル』のゴタゴタのあとに待ち構えていた悪夢である。
『バロン』は興行的には失敗作とされているが、映画としての評価は高い。ホラ吹き男爵の話で、ホラ吹きに騙されたとはもはや喜劇的じゃないか。
ギリアムは開き直ったとさ。
フローリアン・ガレンベルガーの『コロニア』は、偏った思想が見えてしまう映画である。
『ジョン・ラーベ 〜南京のシンドラー〜』なんて映画を、時代考証無しに平気で撮ってしまう監督なのだ。
歴史上の″事件″を勧善懲悪で描いて良いのだろうか。
無垢を色に染めてしまう力が映画にはあると思う。
少年時代のぼくといえばとにかく学校嫌いで、どれだけ義務教育が無意味であるかを学友を捕まえては唾を飛ばし捲し立てていた。
金子修介の『毎日が夏休み』は、はみ出し者をキラキラと描いて、少年少女の登校拒否を上手く代弁してくれた。
罪悪感で肩身を狭くする必要なく、笑っていてもいいんだ。