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クシャナは母親にとても愛されて母親は身代わりに毒まで飲んだのに,ナウシカの方は実は母親に愛されてなかった(多分気味悪がられてた)ってのが作家・宮崎駿のイケてる所だよな。愛されたからまっすぐ育つ的な予定調和が嫌だったんだろね。映画でも母親はナウシカを一切見ないし笑いかけないんですよね
多分2号を猿にしたパーマンの成功体験があったからなんだろうな。ディスコミュニケーション要素の取り入れ。さすがに実在動物の場合は途中から喋らせたりできないからパントマイムで頑張るF先生。
藤子・F・不二雄先生、喋れない創作生物キャラを好んで出すけど途中でめんどくさくなって喋れるように設定変更し過ぎな件。最後までねばって初志貫徹できたのO次郎くらいだよ。なんか知らんけど何度も何度もチャレンジするよな~。喋れない謎生物。
藤子・F・不二雄先生って石森章太郎先生似のキャラをしょっちゅう劇中に出すよね。大抵の場合、細かいこと言わない鷹揚キャラで。F先生から見た石森先生って何があってもピリピリしない大物な感じだったんだろうな。
石森章太郎先生ってどんなに忙しくても来た仕事を絶対に断らなかったというじゃん。永井豪先生がアシスタントしてたときにあまりに忙しくて依頼の電話を断ろうとしたら石森先生に怒られて,以後勝手に断れないよう電話は石森先生の横に置かれたという。これ,そのモーレツ石森先生のパロディだったのね。
ウメ星デンカって何故最後の方がしのだひでお先生の絵になるのか疑問だったけどデンカの終盤とドラえもんの序盤が被ってるのね。1つの雑誌に2作掲載。1970年に入っても連載してるデンカがしのだ先生の絵。頑張って両方描いてよと思うけど70年はもう週刊でモジャ公が始まってギチギチ。そういうことかー
一方、『ドラえもん誕生』は二人で一人の藤子不二雄時代に描かれたけどⒶ先生はたまたま超多忙だったのでF先生はイレギュラー的に一人でドラえもんを立ち上げた…という当時的にはギリギリかつ後年読んでも無理のない描写で事なきを得た慎重派の藤子・F・不二雄先生。
まさか自分の没後に「あしたのジョーのラストシーンは実は梶原先生の原作にはなかった」と明かされるとは思わずに自伝的作品内で真っ白な灰になるラストのイメージは若いころから温めていた…みたいにノリノリで書いてしまう梶原一騎先生。めっちゃ盛るよなー。