//=time() ?>
「大谷吉継ー人とことば」その9。『常山紀談』。「世の人、石田殿をば無礼なりとて、末々に至りても良からず言いあへり」「石田殿は智有りて勇足らざるかと存じ候」。佐和山で三成に苦言を呈する場面。友情伝説はこの書あたりから定着したか。
「大谷吉継ー人とことば」その8。『慶長軍記』。「一度石田ト申合テ此節貴命ニ随候ハ、裏切ノ悪名ヲ天下ヘ取テ、侍ノ風上ニ置レマジケレハ、命ナカラヘテ何カセン」。家康の意をうけ離反を促した脇坂安治への返答。脇坂は汗をかいて退出したという。
「大谷吉継ー人とことば」その7。『落穂集』。「上杉家来の直江などへさへ申談せらる儀を今日までも我等へ内談いたされざる段、満足とは存ぜず」。挙兵がすでに直江兼続との共同謀議であることを三成が語った折のことば。それでも吉継はともに起つ。
【木の芽一日れきし学校より お知らせ】
明日の〝木の芽一日れきし学校〟は予定通り開催します。午後の古道ウォークは天候によっては縮小版(新保陣屋見学)とさせていただきます。